不思議な来訪者

  それはとても不思議な依頼だった。
 私、二種高等再生官、真砂碧は眼前に不思議な奇妙な生物を迎えていた。
 彼は金髪でフワフワしていて、時折笑うと口角があがって牙の様な犬歯が垣間見えた。
 器用に私が淹れたインスタントコーヒーの入ったカップを手に取ると甘党なのか角砂糖を多めに入れてティースプーンでかき回し、一口啜ってから熱い、と言ってカップをテーブルに置いた。

「ああ、それでなんだが、えーと君はー」
「真砂です。二種高等再生官、真柴碧(まさごあお)です」
「そうか、真砂さん。今日は悪いね、わざわざ時間を空けて貰って。ボクには驚いただろう?」
「ええ……まあー」
「そうだろうな。ボクもそう思うよ。こんな深夜だし、こんな成りだしね。でも安心してほしい、怪しい者じゃない」
「まあ、兄から聞いてますから怪しんではいませんけど……」
 そう言って私は彼をまじまじと見つめる。
「ボクに何か?」
「え、いえいえ。なんでもありません」
「そうか‥‥‥」

 と、彼はカップを持ち上げて二度目のトライをする。
 今度は息を吹きかけて冷ましてからだ。見た目通り猫舌らしい。

「お兄さんには色々とお世話になってるんだ。今回は君が適任と紹介されてね」

 兄は地球の高度数千メートルに浮かぶ天空都市アトランティスで捜査官をしている。    
 様々な古代文明の怪異とも接触すると聞いていたから、彼もまたその一つなのだろう。私はそう思うことにした。 
 でも何故、私なのだろう。
 私の仕事は単なる修理屋なんだけど。

「そう、そこなんだよ」
「え?」

 思わず断言されて間抜けな返事がでた。まるで思考を読まれたみたいな気になった。

「ああ、済まない。ボクには分かるんだ、君たちが考えていることが。なるべく感知しないようにしてるんだけど。脳波を、ね?」

 そんな怪しい人間みたいな言い方するな。
 と私は思った。
 通じるかな?

「ごめん」

 あ、通じた。これは面白い。そう純粋に思ってしまった。
 あ、これも通じてるのか……
 彼は困った様な、私の見立てが確かなら、顔をする。

「君たち兄妹は本当によく似てるな。敬吾の奴も阿蘇の奴も思考を制御するということを知らん。
 まあ、これはいいや。で、依頼なんだけどね」

 ようやく冷めてきたのかコーヒーをぐいっとやって半分ほど飲むと、彼は私にあるものを差し出した。

「なんですか、これ。地球?」

 それは立体映像で形作られた地球そのもので、私の職場はその周囲にある。そのリングも綺麗に描かれていた。

「そう。そして君の仕事が必要なんだ。あ、言葉がおかしいな。君の腕を借りたいんだ」

 私の腕を借りたい? 変な話だ。
 私はそう思った。

「でも、私、単なる修理屋ですよ? 二種高等再生官なんて大層な名前付いてますけど。このー」

 といって立体映像の地球の周りにある輪っか。
 粒子を収束してそこに通信ネットワークを張り巡らせた旧世紀の遺物、通称アースリング。
 センスも何も感じられないこの通信ネットワークは今でも一応、稼働はしている。  
 私の役目はそれの破損やほころび(毎日のように飛来する小隕石で粒子が掻き乱されたり、地球に降下する宇宙船が自船の周囲に張り巡らせたシールドの歪み(ある種の見えない力場・防御壁)などの影響で発生する物理的な損傷)などを、整備・修復して元通りにするだけの退屈な仕事だ。

「リングの修復とかですよ?
 それで何のお役に立てるんでしょ?リングの修復関連の依頼でしたら、宇宙航行管理機構を通して頂かないと困るんですけど?」
「あー、いや、そのだな……」

 なんだろう、この歯切れの悪い口調は。
 彼は遠回しに、言いづらいことがあるように伝えてくる。

「公式には通せないんだ。
 ボクはこの成りだし、ね?」

 そう、確かに。
 私は彼のような人? 
 いや存在を初めて目の当たりにした。
 しかも、兄がこの様な相手と知人だと言う事実も信じがたい。
 洗脳でもされたのではないかと、当初は疑ったものだ。
 それより彼をオフィスではなく、借りているアパートの自室に招きいれたことが後悔に当たる。

 だって彼は全身金色というか鈍い黄色の様な体毛に覆われていて、身長は百六十センチの私より少し低いくらい(当社比)。ピョコンと突き出たネコ科独特の耳に肉球の有る両手。どこで手に入れたかしらないが、旧世紀のファッション誌でしか見ないような濃い青みの褪せたオーバーオールを着て、足元には大きなブーツを履いている。そして、宙にフワフワと浮いているのだ。
 猫アレルギーの私に何も起こらないのは彼が猫に似ているが猫ではない証明なのだろう。
 そう、彼は巨大な猫だった。
 時折、口元から覗かせる牙もそれなりに大きくてーー。
 噛みつかれたらひとたまりもないだろう。

「いや、そんな野蛮な行為はしないから」

 あ、また思考を読まれた。
 私は不愉快な気分になる。

「あーっ、分かったよ。もう読まないようにする。というか……漏れてくるんだ。
 ボクが全面的に悪い訳ではないことだけは、理解して欲しいな」

 と、彼はどこか悪びれたように言う。

「まあ、そうして頂けるなら」

 私はたたずまいをただすと、ではお話しを伺いましょうか。その前に、お名前は? と聞いた。

「なに、そんなことすら伝えてなかったのか、敬吾のバカ」
「まあ、兄は確かに段取り悪いですから。で、お名前は?」

 発音ができないような名前だったらどうしようと私は身構えた。

「ブラウニーだ。
 ブラウニー・ウテメ」

 え? 
 と、私は思う。
 とても意外だった。案外、地球の言語に似てる名前だ。

「本名ですか?」
「まあ、この宇宙では」
「この宇宙?」

 ああ、だめだ。
 頭の隅で目の端に映る、壁掛け時計を気にするべきだ、と声がした。
 これ以上突っ込んだ質問をすると、明け方まで話が続きそうな気がする。
 明日は朝の七時(地球時間で)からリングの大掃除があるのだ。
 いまは深夜一時前……早く寝たかった。

「うん、ボクは別の宇宙からーー」
「あー待ってください。いいです、わかりました。ウテメさんですね」
「ブラウニーでいいよ」
「じゃあ、ブラウニーさん。
 今、深夜一時です。
 恋人や家族でもない男性? が若い女性の部屋にいていい時間じゃないんです。
 はやく、要件を!」

 私は壁掛け時計を指さして言った。

「ああ、それはすまない。君たちの文化にはまだ疎いから」

 と彼は素直に謝罪する。
 案外いいやつなのかもしれない。

「簡単に言うよ。
 リングは粒子で出来ていて、その中には電子ネットワークが張り巡られている」
「ええ、そうですね」

 電子流体工学の基礎で習う知識だ。

「その内部時間が、外部時間。つまり、現実の空間とは異なる流れ方をしていることを君は知っているかい?」
「それはまあ」

 粒子を光に近い速度で回転・運用すると時間の流れはほぼゼロに近い状態になる。しかし、そこには膨大な量の質量が発生する。リングはこの質量を電子ネットワークに転用することで太陽系内での、ほぼタイムラグの無い電子通信を可能にした。でもそれも旧世紀の話だ。
 現在は亜空間を媒介にした相転移通信が開発され、銀河の端から端までの会話に数秒のタイムラグが起こるくらいだ。旧世紀の廃れた技術だった。

「じゃあ、その異なる時間の流れを制御することが可能だとしたらどうだい?」

 彼は問いかけるように言う。
 どういうことだろう?
 時間の流れをコントロールする?
 タイムトラベル? 
 でも、それはまだ未開発の技術のはずだった。

「時間移動……が出来る?
 そんな、訳がない……出来るの?」
「そうだ。
 それどころか、もっと転用できれば。
 例えばいまの室内着のままで太陽フレアの中を散歩できるようにだってなる。
 でもこれはまだまだ先の話だ。
 その技術を伝えるわけにはいかない。ボクはできるけどな」

 どこか偉そうな言い方を彼はする。どうにも、見下されたような気がした。

「で、その未開の原住民に洗練された未来人様が何の御用ですか? 
 もう帰って貰えます?」

 私は、なんとなくイラっとして、追い出そうと彼に触れる。
 彼の表面はーー本当に……フワフワだった。

「わあ……」

 猫アレルギーで普段は触れないものに、触れれる嬉しさに、私はつい、我を忘れた。

「あのなー……なんで君たち地球人はそうも不作法なんだ?」
「あ、ごめんなさい」
「まあ、いいけどな」

 もう慣れたから、そう彼はぼやいた。
 多分、同じような体験が何度もあったのだろう。
 仕方ない。もう少しだけ話を聞いてみることにした。
 彼の毛皮のフワフワ感は、とても、心地が良いものだったし‥‥‥

「で、その異なる時間がどうかしたんですか?」
「うん。そこなんだ。
 ボクはそう、現在から数世紀後にこの宇宙に来たんだ。本当はね」
「え、じゃあ、時間旅行してきたの?」

 そう、と彼は言い、残りのコーヒーを飲み干すとため息をついた。

「時間旅行というのは君たちが考えている理論とは全く別のものだ。平行宇宙や同じ時間に。
 そう、例えば過去の君に今の君が会いに行くとする。
 それで未来が変わるとかそんなのは馬鹿げた理論なんだ」

 二十世紀の物理学者が聞いたら激昂しそうなことを、ブラウニーはさらりと言ってのけた。

「ごめんなさい、私あまり詳しくないんだけど。
 でも銀河の端から端まで数年で移動できる現代の物理学では過去の行為は未来に影響を及ぼすとされてますけど」

 そう、私は現代人の常識で反論してみる。

「そう見えているだけだよ」
「見えているだけ?」
「そう、そういうように知覚されているだけだ。人類が使う機械は人類が理解するために作られているだろう?」
「それはそうですけど。
 でも、それが確実性が無いとは言えないんじゃあーー」

 私はなおも反論する。
 しかし、それを無視するように、彼は話を続けた。

「いまこの場。
 場というのは界だな。
 界というのは泡みたいなもんだ。
 世界は無数の泡でできていて、ボクたちが存在する泡に、似た泡も数万と同じ瞬間に存在する。
 それがたまたま繋がってるに過ぎない」
「でもそれじゃあ、どこかではぐれても分からないじゃないですか」

 ブラウニーは首を横に振る。

「なるべくそうはならないように規則性がある。それが物理法則だ」

 うーんー……私は、頭が痛くなってきた。
 彼は私に何をさせたいんだろう?
 話が横道にそれてばかりで本題に全然、進まない。

「それで、私が物理法則に従って生きてる限りは、連続体のように繋がってると?」
「そうだよ。頭が良いな。
 敬吾はこれを理解するのに三日かかったぞ」
「まあ、兄は言葉より行動の人ですから……」

 そうだろう? 
 と彼は相槌を打つ。

「敬吾も阿蘇も本当に酷いんだ。
 ボクがやめろと言うことに首を突っ込んではトラブルに巻き込まれて帰ってくる。あれでよく死なないものだ」

 この珍妙な生き物が呆れるくらいだから、兄とあの相方はよほどドンパチやってるのだろう。

「そうですよねえ、昔からあの二人は本当にトラブルメーカーというか、人が好いというか。なんでそんなに大変なことに巻き込まれてるの? って呆れるくらい」
「あ、やっぱり昔からそうか。
 だろうなあ、この前のアトランティス大陸の眠っていた古代兵器との一戦なんて‥‥‥」

 いまなんて言った、この猫?
 さらりと凄いことを述べた気がした。
 なにか、とてつもない厄介事に兄が関わっているような気がしてきた。
 --まさか今回の依頼も厄介事?
 私の脳裏に嫌な予感が過ぎる。

「あのーまさか‥‥‥」
「そう。申し訳ないが、あまりいい依頼ではない。でも危険性はない」

 その言葉を今更信じるほど私はお人よしではなかった。

「帰って下さいっ!」

 玄関の扉を指さして、ブラウニーが依頼を口にする前に、私は彼を追い返すことにした。

「いや、待ってくれ。頼む」
「い、や、で、すっ!!!」

 これまで、厄介ごとをさんざん持ち込む兄からようやく離れたのに、今更、面倒な場所に戻る気はなかった。
 私は、ブラウニーを半ば強引にイスからひっべがすと、有無を言わさずその金色の尻尾を挟まないようにだけ気をつけて、玄関から放り出した。

「おい、それはないだろう、敬吾からの紹介なんだぞ」

 しつこく玄関を叩いてブラウニーが言う。

「知りません、あんな疫病神の兄の紹介なんてよかった試し一度も無かったんだから……」

 私がそう玄関に背を押し付けて怒鳴ると、一瞬辺りが静かになった。
 帰ったかな?
 それならいいんだけど、でもまだ玄関の向こうに居たらどうしよう。
 と、不安になる。
 一応、リビングのモニターで確認しようとそちらに向かおうとした時、力の無い声が聞こえた。

「敬吾を、そう言わないでやってくれ。
 あいつはいいやつなんだ。こんなボクの友達なんだ。それにー……」

 それに?
 なんとなく気になる。
 そこから何も声が聞こえなくなった。
 リビングのモニターで確認したら、見事に金色の宙に浮く猫がそこにいた。
 しょぼんとしてうなだれているようにも見える。
 少しだけ悪いことをしたなかもしれないと、思えてしまう光景を数分見ていたが、彼はそこを動く気はなさそうだった。モニターに映るということは近隣住民にも見えるということだろう。

「はあ……」

 重いため息と共に私は扉に向かって言う。

「入ってきなさいよ。
 空いてるから。でもつまらない依頼だったら追い出すからね」
「ありがとう」
 ブラウニーはなんと、扉を開けずに空間を透けるようにして入ってきた。
「ちょっと!???」

 なんてことだ。
 これじゃ、物理的な壁なんて意味を成さない!?
 その光景だけで私の不安度が高まっていく‥‥‥

「ああ、済まない。これは無作法だった」

 そう言うとブラウニーは再び扉の奥に消え、玄関を開けて入りなおしてきた。
 案外、礼儀正しいやつなのかもしれない。

「端的に、話して。
 依頼は何?」

 改めてイスに腰かけたブラウニーに迫る私。
 しかし、この金色の猫?のような生物はあまりにもあっけなく、私が呆れる一言を発した。

「ボクの恋人を探して欲しいんだ」
「え……?」

 一瞬、思考が停止した。この猫の恋人?
 やっぱり同じような猫型の宇宙人なんだろうか?

「その人はー……あなたと同じ種族なの?」

 ブラウニーは首を振った。

「いや、君と同じ人間だよ。
 六世紀先の、はるか宇宙の端の見捨てられた惑星で、ボクは彼女と出会ったんだ」

 何が何だか理解が出来なかった。
 六百年も先の未来で、しかも宇宙の端ってどこよ。
 なんでそんなとこに人類がいるの???

「ボクはその場所、その時間軸を通って最初にこの宇宙に来たんだ」
「あなたの始まりの地っていうこと???」

 うん、とブラウニーは首を縦に振る。

「彼女の名前は久遠(くおん)」
「なんで和名なの?」
「知らないよ。そこに移住したのが、君と同じ日本を祖とする民族だからだろ?」
 なんだか都合がいい話だなあ。そう思いながら私は話を続けてとブラウニーに言う。
「その惑星は、いやその惑星を含む九つの星系はある宇宙種族と契約を結んでいたんだ」
「契約?」
「そう、その種族は膨大なエネルギーを持つ思念生命体だった。君たちが神とか魔とか呼ぶようなやつだよ」
「そんなのがいるんだ?」
「そう。いるよ。ボクもそうだし」

 え? 
 いや、それは言われても信じがたかった。
 でもまあ……いま指摘するとめんどくさそうだからやめた。

「契約は数百年間、人間の住む惑星を居住可能な空間に変えること。その後に借りただけのエネルギーを返すことそれだけだった」
「じゃあ返せば良かったんじゃない?
 それに、今の技術でもテラフォーミングは可能よ? 
 現にくじら座辺りでも植民惑星が開拓されてるわ」

 ブラウニーは首を振る。

「それは人類が現在の技術を発展させれればの話だろう? 
 人類はこの後、来世紀には様々な異星文明と遭遇するんだ。
 そして、君たちは戦争に負ける。
 種族そのものが宇宙に散らばるんだ。
 もう文明なんて維持できる状態じゃなくなるんだよ」

 そんな未来を私に教えないでよ。
 どうしろっていうの、と私は思わず頭を抱えて叫んだ。

「聞かなかった方が良かった気がする!!!」
「そうだよな。ごめん」

 謝るなら言わないでよ、そう言いたかったがふと気がづいた。

「まさか、敬吾とか阿蘇さんにも話してないでしょうね?」
「あ、いや」

 猫は視線をあちらの方にやった。
 話してるな、しかももっと深く。
 しかし、嫌に人間臭い仕草をする、宇宙人? だった。

「あんたねえ、人類の運命を軽々しく口にするんじゃないわよ」

 この猫の首を絞め挙げてやろうかと思った。

「いや、だから問題ないんだって。
 歴史はこの程度では変わらないし」
「あんたには問題なくても、人類には大問題よ!」

 こんな時、昔読んだSF小説とかならタイムパトロールなんてものが乗り込んでくるはずなのに。まったくやってこない。
 SF警察の役立たずめ。あ、時間警察か。

「だから、そうならないようにいま動いてるんじゃないか」

 思わぬ返事がブラウニーから発せられて私は混乱する。

「どういうこと???」
「ボクは人類がそういう歴史をなぜ、たどったのかを確かめるために、時間をずっと遡って来たんだ。
 彼女を探しながら、あんな未来は嫌だから」

 それはとても悲しそうに、猫は言った。
 数百年どころじゃない。何万年も愛する存在を探し探し尽くして疲れ果てた。
 そんな感じに見てとれた。

「それってまるで人類の歴史が、誰かの手によって操作されたような言い方じゃない」
「そうだよ」
「どういうこと!?」
「君たちは粒子を自在に操るという手段を手に入れた。
 このまま発展すれば、神や魔といった別世界の特別な力を持つ種族に進化する。
 それが面白くない連中がいるんだ。
 それと、久遠が住んでいた惑星が契約していたのも連中だった。
 未来の世界で人類は滅亡への道を歩かされていくんだ」
「じゃあ……」
 衝撃な告白に、思わず私の口をついて出た言葉は……
「あんたは何をしてくれるのよ。
 人類の為ってあんたが、敵の仲間かもしれないじゃない?」
「そう思えるならそれでもいい」
「―-って、よくないでしょ?」
「だって」

 と、ブラウニーはつづける。

「君が信じてくれなくてもボクにはそうするしかないんだ。彼女を二度と失わないために」

 でも、と私は思う。
 それは愛に見えてあなたの妄執じゃあないの? 
 死んだ人間はもう生き返らない。死者に思いを寄せても‥‥‥
 あれ?
 そとで私はふと気になることがあった。
 まさかのーー

「久遠さんは、死んでない???」
「そうだ。
 彼女は契約者と戦って、粒子の世界に消えた。
 自分の肉体を犠牲にして契約者を別世界に葬り去ったんだ。
 人間のできることじゃないはずだった。ボクなら出来たけど。
 でも、人間の力じゃ不可能なことを彼女はやってのけたんだ。
 幾つかの機械と環境による応援はあったけどーー」

 私は考え込む。
 人間にはできないけど出来た。
 幾つかの支援があった。
 そしてブラウニーはそれができる。
 ならなんで……彼女を失うことになった?

「あんた何してたのよ」

 恋人というならなんで彼女を守らなかったの?
 私は、そう言ってやる。
 彼は少しだけ間をおきーー

「すまないが、もう一杯。もらえないか」

 柔らかな肉球でそっとカップを私に押し出した。
 仕方ない。
 もう一杯だけ用意してあげることにした。

「はい、どうぞ」

 気づくと時刻は深夜の三時になっていた。
 こうなったら、この奇妙な猫の昔話に耳を傾けてもいいかもしれない。
 私は、そう思いかけていた。

「あの時」

 ブラウニーはふーふー、と息を吹きかけてコーヒーを飲みこむ。

「あの星だけじゃなかった。
 別の世界に通じる穴が開いてしまった。それはボクがこちらに来たことに原因があるかもしれない。
 でも、あちら側はボクがいた世界じゃなかった」

 どうもこの神様に等しいという金色の猫にも、わからないことはあるらしい。

「それでどうしたの?」
「両方の世界を閉じる必要があった。
 そしてあちら側の世界に契約者を送り込んだとしても、あちら側に迷惑がかかる。
 だから、その狭間の空間にあいつを幽閉する必要があった」
「つまり二重に空間を閉じる必要があったってこと?」
 うん、とブラウニーは寂しそうにうなづく。
「久遠は少ない粒子を操れる技術者だった。量子や電子の海から色々な売れるものを引き上げてくるサルベージ屋みたいなことをしてたんだ」

 ちょっとまって?
 と私は思う。それってーー

「そう、碧。
 君のいましている仕事の未来にあるのが彼女の仕事だった。
 修理と引き揚げと少しだけ毛色は変わるけどね」

 と、彼は私の思考を読んだのだろう。
 うなづいてそう言った。
 私は考える。
 確かに私の仕事も、肉体を粒子化し、体内に埋め込んだ装置でリング内の粒子の、もつれや破損を修復する仕事だ。いや、それ以前にこの技術は広く転用されて、例えば地上から宇宙船への転送などにも利用されている。

「思考を読んで済まないが。
 碧、君たちのその技術は、人類からしたら文明の発展によってもたらされたものだけど。
 宇宙にいるボクたちみたいな存在からしたら、脅威なんだよ?
 何故なら……粒子を操れるということは時間をある程度操れるということ。
 時間から解放された存在が、ボクたちのような存在だからさ。
 宇宙にもいろんな種族がいるんだ」

 そこで話は私の頭の理解を越えてしまっていた。

「ごめん、わたしにはこれ以上は難しい話だわ。人類の未来とか言われても、訳がわからないことだらけだし。
 で、私はリングから何を探してくればいいの?」
「ああーーそれは……」

 彼ーーブラウニーは仕事の内容をようやく、話し始めた。





 数日後。
 リングの表面にある管理・工事業者専門のハッチで私と現地で待ち合わせをしたブラウニーの姿があった。
 流体粒子管理システムで真空でも生存可能な私と違い、ブラウニーはそのままの姿でそこに立っていた。
 神様という話も、案外、本当なのかもしれないと私は思った‥‥‥

「じゃあ、私はこのハッチの最下層にある、あなたの言う亀裂を閉じればいいのね?」
「そうだ」
 真空の宇宙でどうやって声を聞き取っているのだろうと不思議になるが、ブラウニーは言葉を続けた。
「世界は泡で包まれている。それぞれがぶつかると亀裂が入るんだ。いまの亀裂はあの子が閉じた世界に近い位置にあるから。これをーー」

 そう言って、金色の猫は不思議なものを手渡す。それは緑色でブヨブヨしていて、手から離すと宙に浮く。明らかに重量を持っていた。

「ボクの力じゃ、こいつを粒子化して渡すくらいしかいまは出来ないんだ。
 これを亀裂に当ててくれればいい。
 あと、多分だけど。
 あるはずなんだ」
「言ってたあれね、分かった。行ってみるわ」

 そういうと、私はハッチを開けて、装置を使い肉体を粒子化させる。
 そのまま、リングの内部を満たしている、眩いばかりの黄金の光の海に飛び込んだ。
 片手に握った例のブヨブヨは、装置が私の肉体を粒子に変換し、電子空間でも最適な状態で作業ができるようにしたように、その形状を保ったまま私の手の中にあった。
 外から見ると光の海でも、今の私には、現実と変わらない物体のようなものだ。
 下手に泳ぎ移動すれば怪我をする。
 何本もの『視覚化』されたダクトや、電子回路を迂回して私は最下層部分に向かう。

「あった」

 確かにそこにはブラウニーが言うような裂け目があった。
 光の粒子が漏れ出していてあちら側へと移動している。
 付近のデータで視覚化された壁や器具は破損しており、下手に近付けば事故につながりかねない。
 仕方ないから、普段の仕事でやっているように、体内の装置を操作して、リンク内の余剰粒子を集約し、修復に充てる。
 数時間かけてようやく亀裂部分にたどり着くと、ブラウニーから受け取ったブヨブヨを、そっと亀裂にそって充てていく。するとその空間がまるで意思をもっていたかのようにたゆたい、そして元通りになって亀裂が消えた。

 不思議な光景だった。
 そこには彼が言っていたもの。
 恋人の久遠につながるであろう、何かの破片がひっそりと佇んでいた。
 手のひらサイズの、物なのか映像なのかわからない。
 でも、私がそっと両手で包み込むとそれは静かに手の内に入ってきた。

「不思議な感じーー。
 あ、戻らなきゃ‥‥‥」

 最終点検を終わらせると、私は元来た道を戻り、ハッチを開けて粒子化した肉体を具現化する。
 その手には先ほどのリング内と姿形が、変わらない何かが手の中に具現化されていた。
 いや、それはもともとがこの世のものではないのかも……
 私には理解できない存在だった。

「はい。これがあなたの言っていたものなの?」
「ああー……会いたかった。ボクの久遠」

 金色の猫が、宇宙空間で泣いている。
 涙は真空に漂うわけでなく、それはあまりにも奇妙な光景だった。
 少なくとも……彼が本当に心から喜んでいることは、人間の私にも見て理解できた気がする。

「よかったね?」

 私がそう言うと、ブラウニーはうなづいて、光るそれを頭上にかざし聞き取れないなにかを、それに囁くような仕草をする。
 すると、光の束になったそれは四方に展開し、その中には様々なあるものが見えた。

「これってーー???」
「そう、久遠が遺した記憶。
 彼女の破片だよ」

 私は触る気はなかったが、少しだけ指先が触れてしまい……頭の中に何かが入り込んでくる。

 
 --そこには粒子化して消えていく少女がいた。
 豊かな黒髪を束ねて、気の強い彼女は自分から世界を閉じる役を買ってでたと私には何故か理解できていた。
 二人?
 一人の少女と、金色の猫の会話が聞こえてくる。

(ほら、泣かないでよ。あんた神様なんだからもっとしっかりしなきゃだめじゃん)
(でも久遠、だめだ。お前が犠牲になることなんてないんだ。だめだ! 
 だめだよ、久遠……)

 そう叫び、少女のその手を金色の猫がとれた時、既に久遠の肉体の大半は粒子となり消え去ろうとしていた。

(ボクのボクだけの久遠だっていったじゃないか。
 ボクはまた一人にーー)

 今度はブラウニーの記憶が流れ込んできた。
 膨大な量の彼の記憶はとても古くて、そして悲しみに満ちていた。
 幾千幾億の争いと同時に同胞を失い、故郷の惑星と引き換えに敵を滅ぼした孤独の英雄。
 流浪の果てにようやく出会えた友であり、多分……愛という人間臭い感情を共有できる相手だった久遠は、彼の記憶の中のたった数か月で、その存在を失おうとしていた。
 激しい苦悩と嘆きの奔流に、私は意識を失いかけてしまう。
 最後に聞こえて来たのは、少女の優しい信頼に満ちた願いの言葉だった。

(大丈夫だよ、ブー。
 あんた神様なんだから必ずあたしを探してよ。
 ずっと待ってるから‥‥‥。
 --愛してる、あたしだけのブラウニー‥‥‥)

 私には、そう聞こえた気がした。



「大丈夫か?」

 私はいつしか意識を失いかけ、ブラウニーの声で我に返った。
 大丈夫、と言ってさっき見たことを思い出す。

「ありがとう。君は優秀な二種高等再生官だよ」

 そう、金色の猫は私に言った。
 私はある疑問に気づいて、彼に質問してみる。
 愛してる?
 そこまで、この異種族の存在に言わせたってことは、もしかして、と。
 彼の名前。
 そう、ウテメと言うその苗字がどうにも引っかかったからだ。

「ねえ、ブラウニー?」

 問いかけると金色の猫は、なんだ?という顔をする。

「あなたの恋人、苗字はなんていうの?」
「苗字?」
「家名のことよ、わたしなら真砂。
 あなたなら、ウテメ」
「ああー、それならーー」



 その後、兄から聞いていた代金を私に支払って不思議な不思議な宇宙猫? 
 いや違う。
 異次元から来たんだから次元猫だ。
 彼はそのままの姿で、指向制御装置もつけずに、地球に向けて降下していった。
 私が彼に最後に聞いた言葉。
 それは、なかなかに彼に対する評価を私の中で押し上げた。

「あいつ、カッコいいじゃん。一途だしさ」

 私はつい、視界の隅に消えゆく金色の猫を見て、そう言ってしまう。
 うん、次にもし、恋人にする男性がいるなら、ああいう一途な男にしよう。
 まあ……ブラウニーが男かどうかは怪しいが。
 彼が私に告げた久遠の苗字。
 それはーー

「ん? ああ、それなら、ウテメだ」

 --だった。
 本当に一途なんだな、とそう思った。
 必ず会えるよ、がんばれ。
 私は今度は心の中でそう言うと、家路に帰路をとることにした。