非日常の始まり

 今日も明日も、いつもと変わらない毎日が続いて、僕は少しずつ大人になっていく。

 |平凡《へいぼん》だけど、そんな当たりまえの幸せな日常を送っていくんだ。

――――――そう思っていた。



キーンコーンカーンコーン


 放課後を告げる|鐘《チャイム》がなる。
 夕日が差し込むグラウンドでは、運動部が部活の準備をしていた。
「……部活、入ってみたかったなぁ」
『|家庭《かてい》の|事情《じじょう》』というやつで、僕は授業が終わると部活ではなく|弁当屋《べんとうや》のアルバイトへ向かう。
 |幼馴染《おさななじみ》の|伝手《つて》で働かせてもらっている身なのだが、どうしてもたまにやる気が|湧《わ》かなくなる日がある。
 そんな日は|決《き》まって、チャイムが鳴った後の少しの時間だけ運動部を|眺《なが》めていた。

――そこに居られない自分が『もしそこに居たら』を|想像《そうぞう》するために。

「ユウ氏~、また|黄昏《たそが》れておりますなぁ」
 名前を呼ばれた|方向《ほうこう》を見ると、幼馴染の|灯花《とうか》がいつものニヤケ顔でこちらを見ていた。
「部活、入りたいのでござろ?」
「なにそのしゃべり方……?ってか、昨日もおなじ|質問《しつもん》したよね?」
 |正確《せいかく》には昨日だけでなく、|一昨日《おととい》もその前も、更にその前も、僕がグラウンドを見る|度《たび》に|灯花《とうか》はおなじ質問をしていた。
「だってユウ氏、ここ最近は|放課後《ほうかご》になったらいつも運動場を|眺《なが》めてるでござるよ?」
 本当は入りたいんでしょ?と、|灯花《とうか》は聞く。
「……たしかに入りたいけどさ、ウチの|状況《じょうきょう》知ってるだろ?」
 部活をするための道具や時間なんて、とてもじゃないが|用意《ようい》できない。
「ま、世界には学校にも行けない子供だって居るんだし、そうじゃないだけ僕は|恵《めぐ》まれてる|方《ほう》だよ」
「それは少し|違《ちが》う気がするでござるが……」
 |不満気《ふまんげ》な声を|灯花《とうか》は|漏《も》らしていたが、本当は僕だって不満だ。
「|灯花《とうか》こそ、僕みたいにバイトする必要ないんだから部活に入ればいいのに」
「部活……|拙者《せっしゃ》は全てにおいて|優秀《ゆうしゅう》でござるから、どの部活も|簡単《かんたん》すぎてつまらないのでござるよ」
 ウザったいくらいのドヤ顔で|灯花《とうか》は|自画自賛《じがじさん》をする。
「ま、部活に入るならその金髪を|染《そ》め|直《なお》さないとな」
 |灯花《とうか》の見た目は|祖父《そふ》ゆずりの金色の髪に、肌は日焼けで小麦色、そして|制服《せいふく》のスカートはかなり|短《みじか》めの|典型的《てんけいてき》なギャルファッションだ。
 本人が言うには、これが都会の|流行《りゅうこう》らしい。
 ただ、|灯花《とうか》が運動に関して|図抜《ずぬ》けているのも|事実《じじつ》。
 |勉強《べんきょう》に関しても学年上位だ。
 天の神様は何を考えてこんな奴に|一物《いちぶつ》も|二物《にぶつ》も|与《あた》えたのか……。
「|拙者《せっひゃ》はいつかこの|田舎町《いなかまち》を出て、都会で楽しく生きていく……その夢を|叶《かな》えるためにはお金が必要!だからバイトは部活より|優先《ゆうせん》なのでござる」
「ふ~ん……」 
 正直、今を生きる為ではなく|将来《しょうらい》を夢見て働ける|灯花《とうか》が|羨《うらや》ましい。
 僕には将来を考えられるほどの|余裕《よゆう》は無いし……。
「……バイトに|遅《おく》れるしそろそろ行かないと」
 そう言って、僕はカバンを持って教室を出た。
「それじゃ、またバイトで」
「あっ、ユウ氏~!待ってくだされ~!」
 |灯花《とうか》も|慌《あわ》てて教室を出る。
「一人で行かなくともバイト先は一緒ですぞ!」
「え?|灯花《とうか》は何か|用事《ようじ》があって教室に残ってたんじゃないの?」
「それは……その……」
 なぜか口ごもる|灯花《とうか》。
「べ、別になんでもないんだから気にしないでよねっ!」
「あっそう」
 ビシっと指を差し、決めポーズまでとっていた|灯花《とうか》をスルーして僕は|廊下《ろうか》を歩く。
「ちょっ、おまっ!?」
 |慌《あわ》てて僕を追いかける|灯花《とうか》。
「そこは『わぁ!いま|流行《はや》りのツンデレだぁ!』って反応した後にもう一度聞き直すところですぞ!」
 めんどくさいなこいつ。
「今、こいつめんどくさいなって思ったでござろう?」
 |惜《お》しい、|前後《ぜんご》が|逆《ぎゃく》だったら正解。
「……コホン。きょっ、今日はバイトが終わったらすぐ帰らずにちょっと待っててほしいのでござるが?」
「なんで?」
「な、何でもいいでござろう……残ってくれますかな!」
(今日は別に誕生日とかじゃないんだけどなんなんだろう?)
「くれますかな!」
「わかったって!声が大きいよ」
 シャッ!とガッツポーズを決める|灯花《とうか》。
「そういうのは|隠《かく》れてしろよ……」
 灯花に付き合ったせいか、今日はいつもより精神的に|疲《つか》れている気がする……。
 っていうか|下駄箱《げたばこ》までの|距離《きょり》がやけに長いような。
「今日の学校おかしくないか?」
「べつに、いつもと何も変わりないでござるよ?」
 |普段《ふだん》と|階段《かいだん》の数が違うような気もする……|数《かぞ》えたことは無いけど。
「なんかさっきから|視界《しかい》の|端《はし》が|歪《ゆが》んだりしてるような気がするな……」
 この|歳《とし》でついに|過労《かろう》なのかも知れない。
「それ|程《ほど》までに疲れているなら、いつでも|拙者《せっしゃ》の胸の中へ飛び込むでござるゥ!」
「さっきから声がデカいって言ってるだろ!|周《まわ》りに見られて恥ずかしいとか無いのかお前は!」
 |灯花《とうか》は自分がどれだけ|人目《ひとめ》を引く存在なのかを|理解《りかい》していない。
 上級生からの部活の|勧誘《かんゆう》もスルーするし、一度デートの|誘《さそ》い(まぁ、ナンパみたいなものだったが)を|無視《むし》していたのも見かけた。
 |逆《さか》|恨《うら》みで|絡《から》んできた上級生を張り倒したなんて|噂《うわさ》もある。
 マイペース過ぎるせいか誰かとつるんでるところも見たこと無いし、他の女子も|灯花《とうか》とあまり関わりたがっていないように感じる。
 |逆《ぎゃく》に男子は|灯花《とうか》に声をかけようか|迷《まよ》っている|奴《やつ》が多いらしい。
 ……『|噂《うわさ》』を|恐《おそ》れてなかなか|踏《ふ》み|切《き》れないみたいだが。
 |灯花《とうか》の見た目は、はっきり言って高校生には|刺激《しげき》が強い。
 僕よりも少し高い|身長《しんちょう》に、体つきは他の女子よりも|大人《おとな》びて見える。
 スカートからスラリと伸びた|脚《あし》は、細いながらも|引《ひ》き|締《し》まっていて|陸上《りくじょう》|選手《せんしゅ》みたいだ。
 それでいて|短《みじか》いスカートの下に短パンを|履《は》かないから|時々《ときどき》……|見える《・・・》。
 そこが男子の間でも人気のポイントだったりするから、|灯花《とうか》にはもっと|色々《いろいろ》と気をつけてほしい。
 |配慮《はいりょ》|無《な》しな|距離感《きょりかん》のせいで、いつも僕はドキドキさせられてるから。

 ふと、|灯花《とうか》が|珍《めずら》しく静かにしていることに|気付《きづ》いた。
「どうしたんだよ?急に|黙《だま》り|込《こ》んで……」
「いや、『|周《まわ》りに見られて……』って言われたから一度|周《まわ》りを見てみたのでござるが……」
 それを聞いて僕も|気付《きづ》いた。


「|何故《なにゆえ》、|廊下《ろうか》も教室も|無人《むじん》なのでござろう?」