第一章 三話《サブリエをぶらり》①

人の魂は死後灰となり世界を漂う砂となる。ある者は恐怖に呑まれながら。ある物は祝福に包まれながら。───より厄介なのは、紛れもなく後者である。
祝福される事は、愛されるという事。愛されるという事は、その人間がいなくなる事で悲しみに打ちのめされる生者が残されるということ。
《彼女》はそんな人間を狙うのだ。
例えば恋人を失った男。最愛の女性を失った心の穴に替えはきかない。ただ時間をかけてゆっくりと、その穴の痛みに慣れていくしかない。
だから、《彼女》は希望という餌を残酷にチラつかせる。願いなんて叶えば何でも良いのだ。それが神だろうが悪魔だろうが《彼女》だろうが、穴を塞ぐ鎮痛剤になれば男はどれでも良かった。
「████」
闇の底から響くかのような、氷のようにひどく冷たくて暗い声。
魂と引き換えに、人間の願いを歪んだ形で成就させる魔族の最高位のひとり。名を───《アイシクル=レッドガーデン》。

──3話 サブリエをぶらり──

「長いわ」
「そんな事言わないで覚えてよ名前。ほーらゼラは偉い子出来る子頑張る子」
「刃物の冷たさ頭蓋で知りたい?」
「僕が悪かったから今から包丁投げますよのポーズやめて」
特筆してタチが悪いのは、アイシクルが呪術を使う点。人を殺す事に特化したそれは、一般的な魔法使いでは太刀打ち出来ない。加えて彼女の代名詞 《氷属性の魔法》はレアケース故に、対策が非常に困難。なので彼女と対峙した際にはひとまず財布を出して許しを乞うのが鉄則とされている。
「財布で見逃すの?ヤンキーじゃん。え、魔族なんだよね?」
「本当に見逃すかは別としてとにかく逃げろってことね。ハイ、次。《アヴィス》」
「ハイまた変なの出てきた今度はなに」
「組織の名前かな。呪術を使う悪い組織。僕らは、今からこの《アヴィス》をぶっ倒しに行くんだ」
「ふーん…僕ら?わたしも?」
「もちろん」
それを聞いて分かりやすく渋い顔をするゼラ。なにせ今の彼女は彼女自身の攻撃手段を持たないのだ。そもそも魔法とカテゴリが異なるであろう呪術に《反・魔法─アンチ─》が効くかどうかさえ分からない。効いた所で投げナイフ1本でゼラは致命傷という世知辛い現実。
「大丈夫。その点は僕がめっちゃカバーするから」
「胡散臭っ」
「鼻つまむのやめて。それじゃ───はいっ」
「…なによこれ」
「何って、お金。買い出し。ヨロシク愛弟子ちゃん」
***
───パンデュールの少女・ゼラがモネと出会ってからひと月が経過した。その間ゼラはモネ宅に引き篭っていた為、町へ出るのはこれが実質二度目。以前と変わりない華やかな町並みに心躍ると同時、心が張り裂けそうな感覚が蘇る。
「けど…やっぱイイなぁ、サブリエ」
中央都市へと入国する方法は二種類あるとモネは言う。ひとつはランクC以上の魔法使いである事、そしてもうひとつは功績を作ること。|功績《それ》が例えば、呪術組織 《アヴィス》の壊滅をゼラの手で遂行すること。モネによって提案された突拍子もないこの計画を、ゼラはふたつ返事でOKした。
「けど肝心な事教えてくれないんだよねアイツ…少しは恩感じてるんだから、言ってくれれば手伝うのに…あいたっ」
うわの空で通行人に頭から衝突。しかし感触は優しく、まるで風で膨らんだカーテンに頭から突っ込んだみたいな心地良さ。顔を上げると麦わら帽子を被った白いワンピースの女性がそこにいた。その素顔を視界に入れた途端、天使の肖像画にさえ劣らない女性の姿に身体が硬直し、それでも何とか精一杯の社交辞令を喉から絞り出す。
「あっ、ごっ、ごめんなさい」
「私は大丈夫です。あなたこそ怪我は?」
「あっはひ大丈夫です!」
「ふふ、良かった。それでは」
「はひ!!!!」
着飾っている訳でも無いのに彼女の容姿と立ち振る舞いは美麗かつ幻想的。太陽より眩しい金色の長髪が去りゆく彼女の後ろ姿をより優雅なものにしていた。
「すごい…わたしのお姉ちゃんと同じくらいの歳だろうけどレベチ。主に顔面。多分あの人うんこしたことないな」
下品極まりない予想をぶちかますゼラ。しばし眼福にありついた余韻に浸っていたが、ふと本来の目的が頭をちらついた。
「───じゃない買い物!なんだっけ、メモには肉と魚と…いやアイツ字きったな!」
***
「うへへぇ…おっちゃん達に沢山食材サービスして貰っちゃった。これだけあれば暫く贅沢できるし、もう中央都市行けなくていいかな…しあわせ」
頬が緩みきり何ともだらしない顔である。しかしゼラは言葉遣いこそ汚いものの、容姿、特に首から上だけなら百人に一人のモテ女。ゼラはサービスしてもらった食材達を両手に抱えながらほくほくと幸せを醸し出していた。中央都市の外・通称 《サブリエの庭》はサブリエ全体の三割程度の面積を占めており、サブリエの本拠地ではないにせよサブリエである事に変わりはない。
……ならば怪しい呪術組織の相手などパスし、このサブリエの庭を生涯満喫するのもひとつの手ではないだろうか───彼女の手中に新たな選択肢が生まれるが、
「───おらぁ!!」
そんな甘っちょろい妥協を許す己の右頬を容赦なく引っぱたく。鼻から滝のように流れる流血なんて気にもとめず、
「わたしは!大魔法使いになるの!だからこんな所で止まってちゃダメなの!!一歩でも前進───およ?」
路地裏が何やら騒がしい。ゴミ溜めと化した薄暗い|路地裏《そこ》を顔だけで覗いてみると、いかにもガラの悪そうな男性三人組が一人の女性を囲んで罵声を浴びせていた。しかも囲まれていたのは先程ゼラがぶつかったワンピースの女性だ。
何にせよ、見過ごせる状況じゃない。弾かれたように足は駆け出して、足元のゴミをかき分けながら彼らの間に割って入る。
「───あ、あの…っ!この女の人、何かしたんですか」
「あぁ?何だテメェ」
「その、あんまし大声で喧嘩するの良くないかな〜なんて」
「どうしたもこうしたもねぇよ。俺達はただ、この女で遊ぼうとしただけだ。ガキは帰れボケ」
「あは、そゆこと」
乾き切った笑いとほぼ同時に、ゼラの表情が別人の様な冷酷さにすり替わる。氷のような視線を中央の男に浴びせてから、ゼラは目の前の喋る虫達に左から《ガリガリ男》《フード男》《ムキムキ》と勝手に名前をつけてから、
「十秒あげる。消えて」
ゼラによる警告。しかし少女に消えろと言われて素直に立ち去る程聞き分けのいい連中でもない。そんな中 《ムキムキ》の顔色が怒りで赤く変色していく。
「あぁ、そうかい。それじゃあ大人のマナーってモンを…生意気なガキの身体に叩き込んでやらねぇとな!!」
「やーだー!キモイヤバいクサイ消ーえーてー!」
「人を傷つける駄々のこね方やめろテメェ!」
「じゃあ死んで」
「殺す!」
圧倒的体格差から放たれる拳───だが如何に《ムキムキ》の体格が優れているとはいえ、力の使い方を間違えた一直線の攻撃では今のゼラじゃ相手にすらならない。躱すだけでは隙ができる。防ぐだけではダメージが残る。だからこそゼラは両手で《ムキムキ》の拳を受け流した。
男は懇親の一撃を流された事であっさりと懐への侵入を許し、ゼラは踏み込んだ左足の重心を拳に乗せて、男の鳩尾に叩き込む。続けて流れる様に右足を《ムキムキ》の顔面に炸裂させK・O───ここまでが一秒。
「やだ…わたしったら特訓の成果ドバドバ出てる」
両手を頬に乗せ気持ちの悪いポーズでわざとらしく恍惚とする。しかし彼女の言う通りこれは一ヶ月間、文字通り血の滲むような訓練をモネに強いられてきた成果に他ならない。 一見小柄な只の少女が、筋肉質な大男をものの一秒で畳んでしまったのだ。事情を知らない人間が見れば相当異常な光景に違いない。
「くそ、油断しやがって」
「おい待て、行くな───!」
《フード男》の忠告を振り切った《ガリガリ》の隙だらけの顎に懇親の一発。それによってガラ空きになった腹部に二発。吐き出しそうになった顔面にダメ押しの一撃を叩き込む。
「がはッ───」
《ガリガリ男》はぐるんと白目を向いて、膝からその場に崩れ落ちた。ゼラは残りはお前だけだぞと言わんばかりの視線を《フード男》へと向け、戦意を無言で待機する。
「くそ、どいつもこいつも」
《フード男》が懐から《それ》を取り出した所で、ゼラは漸く合点がいった。男が三人寄ってたかったとしても魔法使いの女性相手なら手も足も出ない。だと言うのに、男たちが終始強気でいられた理由は恐らく《それ》のお陰なのだろう。
「…最近のチンピラはみーんなそういう《魔具》持ってるの?」
「動くんじゃねぇよ。見ての通り引き金を引けば魔力の弾丸がお前を撃ち抜くぞ」
「やれば?」
「…は?」
少しも動揺する素振りを見せないゼラを前に、優勢に立った筈の男は苛立ちを見せる。希少な《魔具》を持つという事はBランクの魔法使いと同程度の戦闘力を持つという事。Cランクが大多数を占めているサブリエにおいて、魔具を持つという事はそれだけで高い戦闘力の持ち主という事になる。
「…くそ。くそくそくそ!どいつもこいつも、俺を舐めやがってぇええ!!」
そうして使用する予定の無かった《脅迫用》の魔具は、ゼラ向けて魔力の塊を射出。それは弾丸と呼べるかどうかすら分からない、青白い雷レーザーの放出だ。魔具を初めて使用した《フード男》は、想定を遥かに上回る銃の出力を目の当たりにして怯えるような悲鳴をあげた。
「《反・魔法─アンチ─》」
しかし雷は世界から忽然と姿を消した。ゼラが周囲のマナを吸収すればあらゆる魔法はその時点で遮断されるのだから当然だ。
消え去った雷にまだ怯えている《フード男》の情けない顔面にゼラの鉄拳がめり込んで、そのまま背後の壁へと叩きつけた。