第一章 四話《血染めの氷柱》

モネがその言葉を吐いた途端、強烈な地鳴りと見間違う程の殺気が膨張してゼラ達に襲いかかる。バキンバキンと規則的に何かが割れる音がするかと思えばドロシー…否、アイシクルの左右でダイヤモンドの様な氷の球体がみるみる巨大化していく───《氷属性の魔法》。
球体が一軒家と同等程度の大きさに到達すると、殺人的な質量となった氷塊は大砲の速度で放たれた。



──4話 血染めの氷柱──



ここまで大きくなれば氷といえど凶器だ。人間の強度では到底耐えきれない質量を前に、ゼラがすべき行動はただ一つ。
「───ッ。《反・魔法─アンチ─》!」
「アンチを解け、ゼラ!!」
「え───」
衝撃で轟音と共に地面がめくれ上がり、間一髪の所でモネの《無属性の盾》がアイシクルの氷ハンマーを防いでいた。もし一秒でも盾の展開が遅れていたら、今頃二人とも氷塊の餌食となっていたに違いない。
「なんで…っ。モネの盾は所々 《反・魔法─アンチ─》で消滅してるのに、あの氷は無傷なの?」
アイシクルは呪術使いの真祖なのだから、彼女自信が呪術を使えない筈がない。もしも《反・魔法─アンチ─》が呪術に対して効果の無い魔法であるとしたら、あの氷はゼラにはどうする事も出来ない。
「悲観する事は無いよ、ゼラ。あの氷…魔法じゃないんだ。マジモンの氷」
「…え?何それ、だって」
「彼女は元々は火属性の元素を使う魔法使いでね。けれど《凝縮》という極めて稀な性質故に、魔法の発現前に周囲の熱を一点に集めるんだ。その性質上彼女の付近は氷結し、現実の氷を発生させる───違うかい?アイシクル=レッドガーデン」
「私の事に随分と詳しいですね。ひょっとして何処かでお会いしました?」
「自意識過剰な。千年生きてるバケモノが有名じゃないワケないだろ」
「ふふ、ソレ人違いです。その方とよく混同されるんです、私。私はせいぜい齢二百の垢抜け女子ですから───!」
アイシクルの指先が鋭利な黒爪に変化し、モネを殺す為の間合いを作らんと地面を蹴る。しかし───
「悪いケドね、僕だって暇じゃないの。君が強いのか弱いのかはぶっちゃけカンケーない。いくら強い赤ん坊でも───銃を持った大人には敵わないだろ?」
8属性の凝縮領域・有効範囲は半径二百メートル。その七色に透き通ったドームの領域内においてモネは敵がどの位置にいようとも無条件で爆撃が可能。アイシクルの顔つきに明らかな焦りが入り交じると同時、モネの執行を意味する声が領域内に響いた。
「───死ね」
するとミサイルや魔力の塊が飛ぶ訳でも無いにも関わらず、まるでアイシクルそのものが爆弾になったかの様に前触れも無く爆発した。しかし彼女はそれでも足を止めず、爆煙を掻き分けて疾走する。
「良い火加減。是非お礼させて下さい」
「いやいや良いよ気にしないで。意外と礼儀正しいんだな君」
互いに軽口を交わし合うが、両者全く余裕は無い。アイシクルからすれば8属性の魔法を同時に扱うなど聞いた事も無いし、それの直撃を受けてなお余裕を見せるアイシクルにモネは内心驚愕していた。
「まぁ…ババアは僕の趣味じゃ無いけど」
子供の様な煽り文句───しかしそれは、思いのほかアイシクルにぶっ刺さった。彼女は笑顔のまま隠しきれない殺意を左手中指の《杖》に上乗せし、目の前の白髪頭を確実に潰すための一撃を作り出す。
「魔法と呪術を混ぜて作ったとっておき。この辺り一帯は溶岩と化すでしょうけれど、それはそれで少し見てみたい光景だと思いません?」
黒い太陽を思わせるそれはありったけの呪力と高熱を圧縮しただけの雑な作りだが、一度炸裂すれば彼女の言った通りの顛末を辿ることになるだろう。モネの魔法であれば自身とゼラを守り切るくらいワケのない事だが、周囲への甚大な被害はとても抑えきれない。熱の塊は一瞬、視界を覆うほどの眩い光を放ち───
「《反・魔法─アンチ─》」
ゼラの声が響いた途端、光も熱も黒い太陽も一瞬で消え失せ、轟音だけが後に残った。一秒後に約束されていた惨劇は、アイシクルが魔法発動時に巻き上げた土煙だけを残してキャンセルされたのだ。
───先に動いたのはモネ。同格同士の戦いは、先手を取れるかどうかでその後の命運が大きく変わってくる。
モネは先程の反省点を振り返るにあたって、アイシクル相手に火力100の属性を8個束ねるよりも一つの属性を火力800まで押し上げてぶつけた方が効果が期待できると仮定し、
「ほら魔法使えよ雪女。自慢の氷、全部溶かしてやるから」
それは先程放った8属性の爆撃とは異なり、純粋な攻撃力だけを極限まで追い求めた破壊の一撃。サブリエの火属性最高峰 《赤》にさえ匹敵しかねない「鳥」のカタチを模した炎の化身。それを目の当たりにしたゼラは、
「………………………………えっ待ってソレ本当に炎の化身なの?小さくない?鳩じゃん」
「失礼な。鷲とか鷹とかせめてその辺でしょ。ね、ピーちゃん」
「弟の鳩と同じ名前という奇跡」
緊張感をぶち壊すゼラの言い分も分かるが、《ピーちゃん》はその愛くるしい見た目とは裏腹に高い威力と機動力を兼ね備えた飛び道具だ。
並の魔法使いであれば掠っただけで灰と化す威力なのだから、いかにアイシクルが頑丈といえど真正面から直撃を喰らえば無事では済まない。
「祈る時間はたっぷりあったろ二百歳児。墓標代わりに受け取ってくれ」
《ピーちゃん》が炎の軌跡を地面に描いて特攻するのに対し、アイシクルはまだ《杖》に魔力を通してすらいない。たった一秒の判断の差によって、最高峰同士が相見える異次元の戦いは終結するかのように思われた。
「───ふふ、8属性のうち最も攻撃力に特化した火属性を選ぶまでは正解でしたね。ただ貴方にとって残念な事がひとつ」
だが、アイシクルの不敵な笑みはその予想を嘲笑うかのように、モネ渾身の一撃を手の平だけで易々と受け止めて見せる。モネはつい先日「人が指先だけで空を飛ぶ」なんて例え話をしたが、目の前の現象は最早それに匹敵しかねない異常事態。そんな彼の顔色はいつになく青い。
「───馬鹿な。素手で止めるとか頭おかしいだろ、君。非常識の権化みたいな女だなオイ」
「私の魔法の性質、もうお忘れになりました?」
「…あークソ、炎の凝縮か」
モネの言葉に、アイシクルの口の端が愉快そうに吊り上がる。彼女の魔法は熱を奪う訳ではなく、火元素そのものを周囲から集めるものだ。例えそれが他人の魔法であったとしても、彼女のルールは適用される。
「私に火属性の魔法は一切通用しません。せめて苦し紛れの雷撃でも撃つべきでした。さようなら鳩男、次の一手でリーサル───本来であればそうしたい所でしたが」
パッと両手を「お手上げ」のポーズにして、アイシクルはまるで《ドロシー》の様な人懐っこい表情になる。
「こちらは先程の一撃で魔力切れ。けれど私の試算が正しければそれはあなたも同じ───あなたの場合、魔力切れと言うより自技の回数制限を消費しきった印象ですが」
「バレバレかよ。おばあちゃんに隠し事は出来ないね、全く」
「呪術で肉体の成長を止めているので、実質まだ十代なんですけどね。そこは譲りませんよ私」
「───えと、ドロシーさ……あ、」
ゼラの言葉にアイシクルは一瞬 「ドロシーさん」が誰なのか分からず反応出来なかった。しかし困ったような表情を作る少女を前にして、アイシクルは自身の心に生まれた微かなさざなみを敏感に感じ取る。
思えば目の前の少女は、戦闘中ずっとこんな表情をしていた事を思い出す。単に戦いが苦手なだけかと思っていたが、原因は恐らくそれでは無い。
この戦闘そのものに疑問を感じてしまうほど、ゼラは魔法使いとして優しすぎた───アイシクルがゼラ自信を殺す為に作り上げた黒い太陽を消し去るか一瞬迷ってしまう程に。
「───あのねゼラちゃん。今日、楽しかったです。本当です。けれど、ダメなんです。私は呪術師・アイシクル=レッドガーデン───あなたの宿敵で、倒すべき相手なんです」
殺意の無い威圧感・敵意のない忠告。これではまるで───「あなたに倒して欲しい」とでも言っているかのようだ。
ただ敵だと突き放す事も 優しいだけの言葉でゼラに取り入る事も出来た筈なのに、彼女はあえてその選択をしなかった。それを見ていたモネはボリボリ頭を掻き毟って、
「ババアとか言って悪かったよ。甘いガキだ君は。悪役向いてない」
「何とでも」
「けど殺すよ。任務なんでね」
「ええ、世間話か恋バナならば紅茶を用意して。土足で踏み入るのならば相応の対応で歓迎致します。それでは」
アイシクルの影がまるで粘性の泡の様な音を立てるのと同時、彼女の周囲を取り囲むかの様に漆黒の底無し沼が広がった。
モネは即座にソレが呪術によるモノであると判断し、ゼラ片手に全力で背後へと跳躍。アイシクルは外したかと言わんばかりの不吉な笑みを残し、沼の底へと消えていった。
「逃げられたか、あるいは見逃されたか。それはまぁ置いといてだ。帰って対策立てますか」
「……うん」
「ゼラ。今朝はああ言ったけど、辛いなら今回はついてこなくても平気だよ」
「ううん、行く。だって───私が倒さなきゃって思う」
ゼラの拳はまるで何かに耐えるかの様に固く握られていて、今の台詞だって本心から望んで言っているとは到底思えない。
それでも彼女を焚き付けたのは他でもないアイシクル本人であり───恐らく、ゼラが思うにそれが彼女の願いなのだ。最も、あの口ぶりでは簡単させてはくれそうにはないが。
「彼女の言う通り今の僕は今ガス欠だ。他の魔法使いとはレベチなEXランク固有魔法を持つ僕でさえこの始末。他の奴らには到底任せられない。そこで君の出番だアンチくん」
「次その呼び方したら死ぬまで投石するから」
「足取りは超優秀なこの僕が特定済みだ。君がアイシクルとイチャついている間にね」
何処から取り出したのか、モネは色褪せて所々崩れかけている脆い地図を懐から取り出した。それはこの世界においての世界地図───六つの町・《C.Hearts─クロックハーツ─》の全貌だ。モネはその中のある一点を指して、
「僕達は明日、西の町───魔獣の住処にして《アヴィス》の本拠地・《影の町》アントンポレルへ発ちます」