第一章 一話《パンデュールの少女》①

───1話 パンデュールの少女───



「───《サブリエ》で間違ってないよね、ここ。今日お祭り?」


数日間ひっきりなしに歩き続けて棒になった脚をようやく止めると、少女は誰にも届く事の無い疑問を呟く。

彼女───ゼラは齢十五の、これといって特筆すべき特徴のない凡庸な見た目の少女だ。彼女の故郷 《パンデュール》では《ブラッツ》と呼ばれる一枚布の白ワンピースが一般的な服装だが、ゼラに限っては魔法使いに憧れるあまりブラッツの上に黒いローブ(自作)という奇抜なファッションをしている。吊り上がった猫の様な黒い瞳と白い肌、年齢よりやや幼い容姿。背中まで伸びる黒髪は、母によく褒められた自慢の髪。
そんな彼女の疑問に応えるとするならば答えは否。道の両端にぎっしり並んだ出店の数々も、昼間であるにも関わらず晴天で咲く桃色花火も、昨日と何ら変わりない此町の日常風景。世界中の何処よりも栄え、魔法が日常に溶け込んだ町───それが《サブリエ》である。

麦畑の田舎町 《パンデュール》から越してきた少女にとって、そこはまるで絵本の世界そのもの。サブリエ=魔法の町という大雑把な知識しか持ち合わせていない彼女は、てっきり不気味な霧の濃い町を想像していただけに安心と落胆の入り交じった複雑な感情を抱えていた。


「正直もっとパンチのある日常を期待してたんですけど…この分だとわたしが悪しき勢力を相手に無双乱舞する激アツシーンは当分先かなぁ、とはいえ───」


今見える範囲で特筆すべきは、天空を突き刺す程巨大な中央都市・サブリエ城(デカすぎて向こう側の空が見えない)。もはや大きいとか高いだとかの次元ではなく「城っぽい山」の域に達した城塞で、その中身は《中央都市》と呼ばれるれっきとした《町》である。しかし、少女の関心は現在もっと手近なモノに釘付け。それは───


「なにこれ透明の壁じゃん」


この通り堂々と(ひとんちの)(何の変哲もない)窓ガラスを素手で撫でては両目を輝かせる始末。しかし彼女の村で窓といえば、風通りを良くする為だけに作られた十字状の木格子の事なのだから無理はない。


「|故郷《いなか》の絵本作家が想像力全開で描いた絵本より更にファンタジーな町並みとかもう無理胸焼けしそう。───って弱気になるなよわたし!ここで大魔法使い目指すんでしょ」


強気な言葉で奮い立たせようとするが、その間も膝はずっと笑っているので見ているこっちが恥ずかしい。少女はぱちんと弱気な両頬を手の平で叩いて、小さな体に不安に立ち向かえるだけの気合いを十分に注入する。


「…ぃよしっっ!!」


本が好きだった。所詮「紙」「文字」に過ぎないのに人の心に触れて、時に心の形すら変えてしまうからだ。そこには|登場人物《キャラクター》の思いだったり、登場人物ではない|作者《だれか》の思いで描かれた世界が何処までも広がっていた。

本は世界だ。ゼラは本の中でしか知らない魔法に病的なまでに没頭し、ページをひとつ捲る度にその世界に憧れた。そしてある時少女は、魔法が実在する群青都市が存在する事を知る。
ゼラは青く透き通った超巨大城塞・サブリエ中央都市を指さして、


「───待ってなさい《サブリエ》。わたしは此処で、絶対に大魔法使いになってやる」



***



「魔力測定の結果、ゼラ様の魔法適正はE。これより先への立ち入りは許可できません」


かくして、《パンデュール》の少女───ゼラの冒険は幕を閉じたのであった。


「───すみません丁度エロい事考えてて聞いてませんでした」

「《サブリエ》中央都市へ入国条件は魔力適正C以上。しかしゼラ様の魔力はE。…というより、ゼラ様の場合魔力がゼロなのです」

「ゼロ……あれ、魔力って生命エネルギーなんじゃ」

「…っ!」

「いやいやいや親指立てて『ドンマイ!』はやめて!あとウィンクできてないし両目ギュッてしちゃってるじゃん」

《魔力》とは人の体を循環している生命エネルギーの総称である。それがゼロという事は即ち「あなた死んでいますよ」と告げられた様なもの。しかし、ゼラがこうして生きている以上実際にゼロなんて事はありえないので、安直に考えるのだとしたら「測定器に引っかからない程に微弱な魔力」なのかもしれない。


「当然、再三測定致しました。しかし、何度行っても結果はゼロ。…どうか気を落とさずに。《中央都市》へ進まずともこの町にいる限り、魔法と触れ合う機会は沢山ありますから」


───しかしどう足掻いた所でゼラのランクはEから変化したりしない。彼女の追い求めた魔法の町・《サブリエ中央都市》まであと一歩。才能の壁は非情にも彼女の行く手を、最後の最後で阻んだ。感情の整理も出来ないまま、ゼラは足早にその場を離れた。どうにも目頭が熱くなってしまい、これ以上その場にいたら悔し涙を耐えきれる気がしなかったから。


「───ッ」


早足で、行き先も無いのに歩いている。
心の穴を何かで埋めなくてはならない。
何かでこの穴を隠さなくちゃいけない。
誰かにこの穴を見られたって構わない。
けれど…自分でその穴を見つけて、認めてしまう事だけは、きっと耐えられない。ずっと魔法使いになる事が夢だった。「魔法を使っている自分」を何十、何百、何千回想像した。けれどソレは未来の自分の姿で、ただの想像じゃ終わらないと信じていた。いつか叶う夢だと、叶える夢だと。それなのに───


「───や…だ」


だからそれは本当に、心の奥底から出た否定。酷烈な現実が冷えた剣となりゼラを貫いても、それでも尚彼女の夢は鎮火せずに燻っていた。しかしそれさえいつまでもつか分からない。


「わたし…諦めたくない…ッ」


俯いた瞳から地面へぽろぽろと涙が零れ落ちた。この夢が消えたら、きっと今の彼女は死んでしまうと思う。


(わたし…わたし、は───)


…魔法が使いたい。大魔法使いなんて大それたことは言えなくていい。他の人が使うやつとは違くていい。だから───


「わたしも…魔法…使いだがっだなぁ…」


だって、ここで止まったら全部泡のように消えてしまう。いつかその穴が埋まるとしても、「今」のゼラはきっとその穴の痛みに耐えられない。それほどまでに夢は大きな輝きとなって、彼女の心を埋めていた。






「───使いたいかい?魔法」


軽薄な声の方を向くと、細身の白髪男性が真横にしゃがみこんでいた。
髪色のせいか一瞬老人かと思ったが、よく見れば二十代半ばの青年。左目には意味深な眼帯をしていて、視覚の情報だけで言えば正直かなり怪しい。しかし───


「わたしでも…使える魔法がありますか?」


例えちらつかせたのが毒虫でも───今の彼女にとっては大事な食料だった。ゼラの問いに男は怪しい口の端を持ち上げて、首を縦に振ることもせず、にこりと爽やかな笑みだけを返した。

***