第一章 一話《パンデュールの少女》②

───そもそも魔法とは。全ての人間に元来備わっている反面、生身では実現不可能な現象を《言葉》《文章》《領域》で「再現」する《高次元の機能》である。
「りょう…いき?」
「ああ。例えば魔法で炎を出すとしよう。然しそれは厳密には君の知る純粋な炎では無く、炎のカタチを模した《領域》なんだよ。もちろん触れれば熱いし、火傷もするけどね」
簡潔に言えば「世界に書き足す行為」だと男は言うが、ゼラにはその感覚がいまいちピンと来ない。人々が《魔法》だと思っているものの殆どは厳密には《魔術》であり、魔法と魔術には大きな差があるという。
《魔法》───神域を侵す最高位の能力。例外なく世界の秩序を破壊する行為であり、使用する際は同質・同量の反魔法で打ち消される為、理論上は存在するが再現不可能といわれている。基本的には《大魔法》と呼ぶことで魔術と区別している。
《魔術》─── 一般に《魔法》と呼ばれる能力の正式名称。火・水・雷・土・風の五元素に加え光・闇・無の三属性を加えた八属性で構成される魔術を言葉または文章で世界に上書きする能力。
《呪術》─── 「対・人間」用の術。魔術ほど実用的では無いが、魔術より人間を殺す事に特化しておりサブリエでは全面的に使用が禁止されている。
「学校の先生みたい…!」
「はっはっは、照れるねぇ。それで?君はどうして《サブリエ》に?」
彼の名前はモネ。白髪眼帯の二枚目で、背丈もそれなりに高くモデル体型。顔のパーツも全体的に整っており彼を容姿で嫌う女性はそうそういない筈だ。黒い半袖Tシャツに白ハーフパンツというシンプルな半袖半パンスタイルだが、美形は何を着ても美形である。
自称・魔法研究者で、《魔術》では無く《魔法》を研究している。それは即ち、神の領域に達する事を目標としている人間の内のひとりだ。そのロマンから《魔法》を研究する人間は少なくない。しかし《魔法》と《魔術》の線引きがそもそも曖昧であるため、例外なく研究は難航する。
「はい!あの…わたし魔法に小さい時から憧れてて、その気持ちだけで突っ走ってきちゃったっていうか…」
「あーよくあるヤツね。まぁ魔法を習得したい想いなんて人それぞれさ。大事なのは、そうねー……想い、かな」
「わーかっこいいー!!」
「え、アハ…そう。カッコよかった?いやァ参ったねぇ!アッハハハ!!」
「アハハハー!!」
男は気分が良くて堪らないといった様子で高らかに声を響かせる。しかしこの少女。口では先程からカッコイイだの何だのと言ってはいるが、その実───
(滅茶苦茶怪しいいいいなオイ!正体隠す気のない宗教勧誘くらい怪しいんだけど)
正気に戻っていた。監禁・誘拐といった物騒なワードが彼女の脳内で暴れ回る。故にゼラは薄っぺらい会話を展開しつつ、会話の隙と部屋の脱出口を視線だけでずっと探していた。
(何でこんなのについてきちゃったの わたしバカか!これあれだな、えっちな事されるやつだ絶対そうだ)
えっちな事がどんな事かは分からないが初対面の相手をロリコン認定する肝っ玉の座った少女ゼラは、会話が一段落したその瞬間を見逃さなかった。ようやく見つけた一瞬の隙───次の話題が展開されるより早く、ゼラが言葉を差し込む。
「あっあれぇぇえ?なんか急にトイレ行きたくなってきたかもー!すみませぇん、ちょっとお手洗お借りしてもいいですかぁ?」
「おっ!いいよいいよ全然オッケー。そこ出て突き当りね」
───勝機!幸運な事に、トイレと入口は目と鼻の先。田舎で育んだ瞬速の逃げ足をもってすれば、ソファでくつろいでる男なんて余裕で出し抜ける。ゼラはモネの動向を確認しつつワザと大きな音でトイレの扉を開閉させ入ったフリをしてから、物音が最小限に留まるよう細心の注意を払いモネ宅を脱出した。
***
脱出して魔法が使えるようになる訳でも無かったが、変出者から自衛をするに越したことは無い。少女は深いため息を吐きながら、怪しい眼帯男の事なんて一刻も早く忘れようとしていた。それにしても───
「…すっごい豪邸だったなぁ」
彼女の尺度で「すっごい豪邸」は「二階建ての一軒家」でも十分だった。若造が一人で暮らすには贅沢な環境ではあったものの、部屋が十も二十もあるお屋敷という訳ではない。
「けど、森の中にあんなお家…やっぱり怪しい。絶対何か隠してるよ、あの───あいたっ」
「───ん?」
視界の悪い木々を掻き分けて漸く人道へと抜け出した直後、高身長の男性らしき人影に頭から突っ込んだ。即座に胡散臭い白髪頭・モネの姿が脳裏を過ぎり、恐る恐る胸・首・頭───と徐々にその素顔を確認していく。
「うぉっ…お嬢ちゃん、どした?」
無精髭が特徴的なモネとは似ても似つかぬ山賊面。お世辞にも二枚目とは言い難いその面構えを見た途端、疲れと安心が彼女の緊張の糸を断ち切った。
「あ…よかっ…」
「ぶ、ぶっ倒れたァ!?お嬢ちゃんしっかりしろ!くそっ…おーいお前ら!こっち来てくれ」
「どーした…って、なんで倒れてるんだその子」
「女の子が茂みから…───」

───目を覚ますと、聞き覚えのある音が微かに聞こえてきた。故郷 《パンデュール》で家族と焚いた焚き火の音と、木の焦げる優しい匂い。火からはそれなりに離れている筈だが温かく、まるで故郷へ戻ってきた様な───
「───いやいやいや!せめて魔法を習得するまでは わたし帰らな……あれ?」
離れた所で、男数人が焚き火を囲んで魚を焼いて食べていた。…ゼラの寝言で一人が吹き出すと、他の四人もつられて豪快に笑い出す。
「なんだァ、嬢ちゃん!具合はもう良いのか」
「え、えぇぇ…」
「覚えてねぇのか?アンタ茂みから出てきたと思ったら気ぃ失っちまったんだ」
「えっと…あっ、白髪の男の人は」
「ん…白髪?誰だいソリャ。知らねぇぞそんなヤツ」
その事実だけで、ゼラはひどく安心した。嬢ちゃん食え食えと無理やり焚き火のある位置まで腕を引かれると、決して良いとは言えない座り心地な椅子替わりの丸太に腰をかける。
「俺はグラスだ。この中じゃ一応リーダーやってる」
意外だったのは、グラスが五人の中で最も最年少だった事。二十代前半の平均より整ったやや中性的な顔立ちで、背丈は他の強面四人よりも頭一つ分低く、ガタイも一回り小さい。とても彼らを従わせている様には見えなかった。
分けて貰った焼き魚を頬張りながら言われるがままに今に至るまでの成り行きを彼らに話すと、グラスを筆頭にそれぞれ目頭を押え始め───
「うぅうぅ…嬢ちゃん…そいつぁ大変だったなぁ。なぁお前ら!」
「あァリーダーが言う通りだ!傷ついた女の子を騙くらかすなんざ、とんだクソ野郎もいたもんだぜ!なァ?」
「おうよ!しかしなぁ、お嬢ちゃん。希望を捨てちゃなんねェぜ?魔術ってなぁ、理論上誰もが使えンだ。人一倍努力すりゃ、アンタでも大魔法使いになれっさな」
「わたしでも…大魔法使いに…!?」
それを聞いた瞬間、心にかかった どうしようもなく分厚い雲が晴れていく気がした。諦めかけていた彼女の夢に希望の陽が降り注いで、ゼラの瞳が温かい光を取り戻していく。
「よかった…わたし…諦めなくていいんだ…っ」
ぽろぽろと涙が頬を伝うが、それは昼間とは正反対の温かい涙だった。
「あぁ、それじゃそろそろ行くかぁ」
「あ……っ。待って、わたしも一緒に」



「ハハハ、何言ってンだ、お嬢ちゃん。あたりめぇだろ。お嬢ちゃんは大事な大事な商品なんだからよ」
「…商品?」
「ああ。変態貴族に売って、俺達は金を貰う。そういう商売だからな」
「───」
急に世界がぐるりと暗転したかの様な奇妙な感覚に陥り、視覚と聴覚のバグさえ疑いたくなる。先程分けてもらった魚も、寝ている間にかけてあった毛布も、きっと善意によるものだったに違いない。
ならばこれは悪意によるものだろうか───違う。倒れた少女を介抱する善意も、生活の為に少女を売る非道も、彼らの価値観では矛盾せず《普通》なのだ。
「───…っなんで」