第一章 一話《パンデュールの少女》③

涙を流してくれた。
希望を与えてくれた。
食料を分けてもらった。
優しい言葉で接してくれた。
毛布がこんなにも温かいのに。




どうして この人達は わたしに そんなことが言えるのだろう。


「…そんな顔で見ねぇでくれ。お嬢ちゃんも《E》なら分かるだろ?」
「このサブリエに足を踏み入れた以上、魔力が全てだ。魔力適正が《E》って事は……ゴミって事だ」
「ゴミがどうやって生きていきゃいいか分かるか?わかんねェよな。生み出せねぇ俺らは、奪うコトでしか生きていけねぇ」
「オレ生まれ変わったら花とかがいい」
「わかる」
「これゴミなのはおじさん達のメンタルの方なんじゃ…あっすみません何でもないです」
魔力適正は心臓に張り付いた楕円形の魔力器官がどれだけ大きいかで決まる。それがたった1ミリ広がる事にランクは跳ね上がり、
《S》魔力適正200以上
《AA》魔力適正150以上
《A》魔力適正100以上
《B》魔力適正50以上
《C》魔力適正30以上
《D》魔力適正10以上
《E》魔力適正10未満
A以上は軍隊に匹敵し、Bは武装した兵士複数人に遅れをとらない。サブリエの魔法使いの殆どがCに位置づけされ、その9割はC帯だとされる。
Dともなると魔法と呼ぶのもはばかられる手品レベルの魔術であり、Eは火花さえまともに散らせない「一般人」。
「俺達は…《サブリエ》じゃあ、何者にもなれねぇお荷物なんだよ。ならよ、せめて自分だけでも救おうとして何が悪ぃんだ?」
彼らは魔法使いを見る度に彼らを妬む事を諦め、僻む事を諦め、怒る事を諦め、呪うことを諦め、己の苦しみからさえ目を背け、いつしか持っていても辛いだけの夢をドブに投げ捨てたのだろう。
───その時ゼラの中に生まれた感情は、恐怖や不安なんかじゃない。怒りでさえ無いそれは、どうしようも無く「共感」だった。あの唯一の出口を塞がれ光が閉じた時の様な絶望を、目の前の彼らは「毎日ずっと」感じ続けたのだ。だからこれはきっと、ゼラの未来の姿。
彼らだって望んで悪人をしている訳では無い。呼吸をせずに生きられる人間なんていない。彼らにとって人攫いは呼吸であり、食事であり…だから先程見せた優しさだって、恐らくある意味本心。
ただ少し、心が疲れて壊れてしまっただけだ。彼らだって…魔法を使える自分を夢見てサブリエに足を踏み入れた筈なのだから。
「……お魚」
だからゼラが彼らに向けて放つ言葉なんてこれで良い。それは一種の諦めで、彼らへの同情で、感謝で、共感。だから少女は、見る側が辛くなる痛々しい笑顔を作る。
「ありがとう。すっごい美味しかった」
それでも男達は眉ひとつ動かさない。心が壊れているのだから当然だ。心が壊れていなければ攫う相手に優しい言葉をかけないし、毛布をかけたりもしない。
例えるならソレは、ゾンビに残った人の名残の様なもの。それを人間性と呼ぶのは些か議論が分かれるだろうが、それでもこれが《無才》と呼ばれる《E》の末路の一つであることは、紛れもない事実だった。
「手足を縛れ。逃げ出すかもしれねェ」
「ああ」
「おーい!アッチに家があったぞ」
「…あァ?こんな森の奥に家なんざある訳ねェだろ」
「ウソじゃねぇよ、来てくれ」

***

そこは見覚えのある───どころの話ではない。寝て起きたゼラにとっては半刻前に逃亡したばかりの一軒家が、森に囲まれてひっそりと佇んでいた。
ゼラは一軒家を認識した途端、反射的にアスリートダッシュで逃走を図るも首根っこを捕まれあっけなく捕獲。そもそも走って逃げられるならとっくにそうしている。
「死にそうな顔してたが急に元気になったな」
「暴れんな嬢ちゃん。観念しろ」
「…金目のモンは残らず持ってくぞ。女子供も連れていく」
「了解」
一軒家は「静けさ」という不気味な液体で満たされた箱みたいだ。先程は気付かなかった異様な何かを、ゼラだけが唯一感じていた。
(あの男…いる気がする。気配なんて分からないし音もしないけれど。それに、この感じ───)
なお盗賊の彼らと、変出者・モネが鉢合わせたらどうなるか───その答えは明瞭。モネが実力ある魔法使いなら盗賊5人束になったところで瞬殺できる。つまり、盗賊の彼らも決してノーリスクでは無いという事だ。
「…まて。物音がする」
階段の途中で一人の盗賊が足を止める。光の殆ど届かない暗闇で迷わず動ける夜目の良さもさることながら、耳まで良いのかとつい関心してしまう。ゼラが耳をいくら済ませた所で、木々の葉音以外は何も聞こえてこない。
「お前はここで嬢ちゃん見張ってろ。叫んだら殺せ」
「了解」
「はぁい!僕も了解でぇす!!」
やけに若い男の声が響いた。コレはあくまで不法侵入だというのに、この声量はどう考えてもバカすぎる。 ふと背後を見ると、最後尾に居るはずの無い六人目───昼間出会った胡散臭い自称魔法研究者・モネが敬礼のポーズをキメていた。
一体いつから?ゼラが考えるより早く、先頭のグラスが懐から銃を取り出し、躊躇うこと無くモネの額へと弾丸を発射。弾は見事命中しモネはあっけなく背後へと吹っ飛んで、一階まで勢いよく転がり落ちた。
「───ええええマジであいつ何しに来たの!?」
それで終わるかと思いきや、男は階段を下って横たわり動かなくなったモネの全身に弾倉が空になるまで連射した。生まれて初めて見る銃が…今、目の前で、余りにも|日常《とうぜん》のように人を殺した。
冗談じみた血溜まりが今歩いてきたばかりの場所とは到底思えず、まるで階段の下が別の世界の様にすら思えてくる。そんな中でゼラの感情から生まれたのはたった一つの───
(え…死ぬって……こういう事なの?)
そんな薄情な感想だけが頭に浮かんだ。それは死んだモネへの同情や、迷わずモネを殺したグラスへの恐怖ともまた異なるもの。───死に対し、生命の最奥の本能が「こうなりたくない」とかつて無い大声で叫んだ。叫び声はゼラを内側から徐々に侵食して、
「…たすけて」
感情の整理もできないまま、呟く様な命乞いだった。それは深層心理が彼女へ伝えた「死にたくない」の、ほんの小さな余波。
直後───「死にたくない」は彼女の心を完全に支配した。まるでずっと体の中で血が止まっていたんじゃないかと思うくらい、彼女の全身は貪欲に「生きる」を強く求める───!
「たすけて───モネッッ!!」
なのに、彼女の傍には彼しか居ない。全身を十二回撃ち抜かれ、頭も心臓も貫かれていているモネしか、彼女の傍にはいないのだ。
わかっている…話しかけているのは死体だ。どうしようもなく手遅れな血まみれの肉だ。こうなってしまっては、牛も人も変わらない。
「─── 二つだけ、お願いがあるんだ」
───その筈だった。モネは確定した筋書きを容易く書き換えるかの様に、何事もなく血溜まりから立ち上がった。常識外れの光景に、助けを乞いたゼラ本人でさえ全身の毛が逆立つ。
「………………………なんだと?」
「ひとつ。君は最高の被検体かもしれない。魔力適正ゼロ?ありえない。すごいな、君は天才…いいや、奇跡だよ、ゼラ。だから、その身を僕に色々といじらせてほしい。なに、痛いことはしないさ。勿論、三食・風呂・布団付き」
「オイ兄ちゃん。俺は確かにアンタを殺した筈だが」
「ふたつ。───僕の友達になってくれ」
「…え、無理」
「こんな激アツい流れで断るかなフツー?」
「おい兄ちゃん、アンタ」
「いいかよく聞けゼラ!」
「…なによ」
「オイ、無視すんな」
「僕は」
「オイって」
「友達がいなぁぁあい!!」
「聞けやァこのミソッカスがぁあ!!」
暗闇に男ふたりの怒号が反響する。運悪く暗闇に目が慣れはじめて、視界に入れたくもない光景を見るしかないゼラの気持ちにもなって欲しい。しかしそんな彼女の思いも虚しく、モネはまくし立てる様に更なる(聞きたくもない)弁解を展開していく。
「あのね!なんか昔は結構チヤホヤされてたの!僕も!けどやっぱ人間性って大事だよね時間が経つに連れて周囲の人が離れてくんだよどんどんドンドン!!」
「あの、後ろの人達に構ってあげて?」
「んー…?あァなに、いたの君達」
「クソッ舐めやがって」
多分そういう所だぞの一言も言ってやりたいが、状況が状況なだけにそんな余裕は一切ない。しかしモネの動じなさは何と言うか…期待したくなってしまう。
もし彼がBランク以上の魔法使いであれば、この程度の状況は一手でひっくり返る。そもそも並の魔法使いが銃弾を至近距離で受けて生きていられる筈がないのだ。
「知りたい?」
「……あ?」
「いやぁホラ、さっき君は僕の全身を撃ったじゃない。なのに…アレ!?生きてる。不思議だよねぇ……ねぇ?」
「なんのつもりだ」
「いや?ただのクイズの答え合わせだよ。考える時間はたっぷりあったろ?」
「どうだっていい」
吐き捨てるように言い放つグラスが背中のナイフケースから取り出したのは、紅い炎を纏った小剣。あの炎の揺らぎ、どこか違和感がある…まるで精巧な炎の絵が動いているかの様な───
「あの炎もしかして…魔法?でもっ、あなた達はEランクで、魔法って使えないんじゃ」
「こいつぁ《魔具》さ。持ち主の魔力はカンケーねぇよ、なにせボタン一つで起動する装置だから…なっと!」
グラスが小剣を振るうと炎の斬撃がモネを向けて放たれた。モネは身をかがめて躱すが、背後の壁は無事では済まない。
「あのさぁ、気軽にひとんちを壊さないで貰えるかな」
「るせぇ!」
第二撃・第三撃が同時に向かってくる。その様子は最早斬撃と呼ぶより、炎を撒き散らす蛇と言った方が分かりやすい。一軒家内部は真っ赤な地獄へと変貌し、見渡す限りの灼熱を生み出していた。|魔法《にせもの》の熱が肌に触れると、脳まで痛みが駆け上る。
「ははっ!どうだ…こいつはな。三日前襲った貴族の護身用のお高い魔具だ。今となっちゃ盗賊がカネを巻き上げるのに使う凶器だけどな」
「これだけ燃やしておいてカネも何もあるもんかよ。…ったく、これ以上家を壊されちゃ困るんでね。反撃させて貰うよ」
モネが一度入れたポケットから再び手を引き抜くと、先程までそこに無かった指輪が、中指にはまっていた。
銀色のリングに紫色の宝石が埋め込まれたアクセサリー。ゼラは知っている…あの指輪が、魔法使いの間で《杖》と呼ばれている魔具だという事を。
「杖はね。《魂》ってヤツを肉体の外へ出せるようにする事で、超自然現象を可能とした魔具なんだ。その超自然現象が魔法…正しくは《魔術》の正体ってワケ」
知っている。故郷《パンデュール》に住んでいた頃、たくさん本で調べたから。それなのに魔力がゼロだと告げられて、今までやってきた事が何もかも全部無駄になった気がして…自分でも知らぬ間に、ゼラは自暴自棄になっていたのかもしれない。
「魔力がゼロねぇ…確かにそれは魔法使いを目指す者としては非常に耐え難い現実だ。でもね、ゼラ。例え死体でも、魔力がゼロなんて有り得ないんだ。つまり君の体には魔力に代わる何かがあって、僕は、どうしてもソレが知りたい」
「魔力に代わる…何か?」
「そして火・水・雷・土・風・光・闇に《該当しない魔法》は全て無属性扱いとなる。せっかくだから今ここで見せてあげよう───|無属性《ぼく》の魔法ってやつを!」
モネの右手が空気を【掴んで、投げた】。風圧と呼ぶには余りに生易しい烈風が盗賊五人組へと直撃し、信じられない事に壁ごと夜空まで吹き飛ばした。さながら子供向けアニメで成敗される悪役みたいに。
今にも倒壊しそうなマイホームを気にも留めずモネは退屈そうに欠伸をしてから、
「今のは手のひらで投げた風圧を一万倍にしてぶつけた。銃弾で死ななかった事も兼ねて、僕の能力の正体が何か、今ココで当ててみて」
「…え、わかんない。別々の魔法なんじゃないの?」
「残念ながら同じ魔法を用途に応じて使い分けただけだよ。じゃあこれは、この先の課題かな」
「この先…って」
「君は今から僕の弟子。魔法が使いたいんだろ?君の魔法───ゼロから僕が作ってあげる」
「いや、あの」
夜空を指さして、とりあえず星になった盗賊達の安否がすごく気になるゼラだった。