第一章 二話《魔法の条件》②

─ ─説明中─ ─
「あん…ち?」
「ああ。Sランクの魔法使いはおろか、竜や吸血鬼の魔法さえ一切寄せ付けない。いわば最強最高の防御結界だ」
「わたしが…さいきょう…!」
ゼラの目がキラキラと輝く。しかし《魔法を打ち消すためだけの魔法》で、彼女は本当に心から納得できるだろうか。事実、この魔法を使えるのは人類史上で彼女が一人目だろう。だが同時に、彼女が思い描いていた華やかな魔法とは違った筈だ。
《魔法を打ち消す魔法》と謳えば勝手は良いが、研究者のモネからすれば魔法というより《一種の自然現象》と言った方がしっくりくる。
「ねぇ、強いの?」
「あ…え。何が?」
「強いの?わたしの《魔法》」
───広く見れば魔法だって自然現象の一種だ。一般的な魔法使いの《魔法》もゼラの《反・魔法─アンチ─》も、人間の魂を元に世界に干渉する現象の事だ。ならば、この瞳の煌めきを奪っていい理由になる筈もない。
「ああ…。ああ!メチャクチャ強い魔法だ。上手く使えばそこら辺のAランク魔法使いをボッコボコにできる」
「ボッコボコ!」
「そうだ!ボッコボコだ。けれど、ゼラ。君が戦うためには体術が主体となってくる。魔法使いを目指していた君には望まぬ戦い方かもしれないが、それでも頑張れるかな?」
「余裕!」
「そうか!よし…それじゃあ、ちょっと付いてきて」
モネはそう言うと、ゼラがずっと本棚だと思っていた《扉》を開帳。暗い螺旋階段を松明の灯りを頼りに下って行くと、やがて一枚の扉に辿り着いた。扉は金庫の様なダイヤル式の鍵が掛かっていて、モネはそれを慣れた手つきで解除する。
(ダイヤル数字…0022)
ゼラ自身がこの扉を開ける機会があるかどうかは別として、覚えやすい数字は意味もなく彼女の頭にインプットされていた。重たく錆び付いた音で扉が開かれると、向こう側に広がっていたのは円形の闘技場が中央に置かれた分厚い壁で覆われた部屋。
「ここって…」
「見ての通りだよ。君は今からここで僕と戦うの」
「え、今から!?」
「そうそう。あ、モチロン僕も魔法メチャクチャ使うから、頑張ってね」
「えっ、えっ?ちょっと、待」
「よーいドン!!」
「待ってぇぇえ!?」
魔法で作り出した烈風がゼラへ襲いかかる。ゼラにとっては突然の戦闘。その筈だが、彼女の頭はまるで冷水を脳に流し込まれたみたいに冴えている。
だから心臓に意識を集中させて、先程よりもずっとスムーズに《反・魔法─アンチ─》が発動した。空気が揺らぐほどの烈風は、ゼラに当たる寸前で忽然と消滅。
「風が消えた…ってコトはやっぱり、あの風がモネの魔法?」
「分析してる余裕あるの?」
信じられないことに、モネは10メートル以上あった間合いを一度の跳躍で詰めていた。ゼラはそれに気付くのが一秒遅い。気付いた時には既にモネの左の爪先が、彼女の腹部にめり込んでいた。
「か……ッ。あ、───」
内臓に達した蹴りの激痛で《反・魔法─アンチ─》の効力が切れる。あの烈風がくる。次のダメージでゼラは間違いなく致命傷───しかし、風は来なかった。風の代わりに、獄炎を思わせる真っ赤な灼熱を背負って、男はそこに立っていた。
二つの元素を持つ人間がごく稀にいると聞く。《反・魔法─アンチ─》に比べればそれ程珍しい事ではなく、あくまで少数派というレベルに過ぎない。しかし今問題なのは、モネが元素を複数扱えることじゃない。
目の前の光景は一体何の冗談だろう。
男の背後はまるで真っ赤な別世界だ。
戦争を圧縮したかのような獄炎の地獄。
そんな筆舌に尽くし難い灼熱を文字通り《背負っている》。その地獄が一歩、また一歩と世界を焼いて進行してくる。
「さて、問題です。僕の魔法の正体は一体なんでしょうか?」
「……真実はいつも一つ。ズバリ火属性の魔法を風魔法に食べさせて巨大化させる二重元素使い?」
「ブッブーハズレ。僕は全部の元素を使えるけれど、それ自体が僕の魔法じゃありません。ってワケで、君を今から一度焼いて治療しまーす」
「あっ、えっ!?嘘でしょ寸止めじゃないの!?マジで焼く感じ!?」
「はい、ジュー♡」
「ちょ、や───あ」
地獄の再現がこちら側へ流れこんでくる。
怪物じみた灼熱の災厄に丸呑みにされる。
熱いなんて言葉じゃ到底足りない。
痛いなんて言葉じゃ到底足りない。
骨に火が届く。最悪だと思っていた痛みに、まだ先があった事を思い知る。高熱が体を焼き続ける無限のような十秒間。全身の感覚が遠くなっていく事に安心感さえ覚えながら、ゼラの意識は暗転した。

***

その日の夜。
「そう怒らないでよ〜。《反・魔法─アンチ─》使えばよかったじゃん」
「怒るわよ!思いっきりお腹蹴るわ、丸焼きにするわ。この鬼畜。DV男。しんじゃえ」
どういう事か傷一つないゼラ普段と変わらず夕食の席に着いており、不機嫌そうに膨らませた口でハンバーグをもりもり頬張りながら愚痴を零していた。モネ曰く「魔法でちゃちゃっと治した」そうだが、いよいよ彼の魔法の正体が分からない。
「けれど、君でも魔法が使える。それがわかったのはお互いに最大級の収穫さ。あとは使いこなすだけ───ぶッ」
話途中のモネの顔面に鍋が直撃する。モネはいつも通りならば魔法で躱すか防ぐかできた筈だったが、ゼラが《反・魔法─アンチ─》を使える今となっては勝手が違う。彼女は心底満足気な笑みを浮かべて、
「くっふふふ…!やった、やった!当たったわ!」
「まさか今の一瞬で《反・魔法─アンチ─》を展開するとは…君は思いのほか才能があるのかもしれないな」
「お褒めの言葉ドーモ。ところでこの《杖》、ただの指輪だと思ったけどちゃんと宝石の底に魔術刻印が掘られてるのね」
「魔法を使うにあたって《言葉》もしくは《文章》は必須なんだ。《杖》は《文章》の過程を魔術刻印によってショートカットしてるんだよ」
「へぇ便利。ねぇ、コレ貰っていい?」
「もちろん。良ければ他にも《杖》はあるけど」
「ううん、コレがいい。わたしに初めて応えてくれた《杖》だから。それじゃあ寝るわね、おやすみ」
「おやすみゼラ。良い夢を」
今夜は夜空がやけに澄んでいるから、星がよく見える。ゼラは最後まで不機嫌そうに振舞っていたけれど、内心は相当興奮していた筈だとモネは思う。
想像していたものとは少し違うモノであったとはいえ、彼女がずっと追い求めてやまなかった《魔法》を、この日初めて手に入れたのだから。
「最初は…みんなゼラとおんなじカオをするもんさ。けれど、いつしか慣れてしまう。魔術が日常の一部になった途端、感動は腐って退屈へと変貌を遂げる。だから───」
モネは薄暗い螺旋階段を下って行き、ダイヤルを《0672》にかけてから錆び付いたドアを開ける。
そこに昼間の闘技場は無く、この景色に名前を付けるとしたら「マッドサイエンティストの実験室」だろうか。人の形が幾つも怪しい液体で満たされたカプセルに入って、無理やり生かされていた。
「だから、僕達は魔術の先…真の魔法・《大魔法》を研究するのさ」
人の形をしたそれらは、髪も髭も剃られて一見判別がつかない。しかしよく見ると、その正体は先日ゼラを攫いモネと対峙した山賊面の5人組。その内のひとり───リーダーのグラスが運悪く目を覚ましてしまう。
「───…。…っ!?」
「あ、起きた?ヤッホー。流石リーダーくんは自我がしっかりしてるのかな?普通は取り込まれちゃうんだけど」
カプセルの内側へ声は届くが、グラスはモネの言葉の内容は理解できない。───もっとも、理解したら理解したで仲間達のおぞましい末路を知ることになるのだが。
「ねぇ、盗賊のリーダー君。竜がどうやって魔法を使っているか知ってる?」
「───…?」
当然、答えられる筈がない。知識の有無以前に、鼻から口にかけて酸素供給マスクを装着しているのだから当然だ。だからモネは最初から男に答えを期待しない。なにせコレは、子供が今から潰す予定のアリに笑顔で話しかけるような狂気的で猟奇的な遊びに過ぎないのだから。
「竜の吐く炎は《大魔法》に分類されるんだよ。だから本来ならこの世界《C.Hearts》の反魔法によって打ち消されてしまう。じゃあ、現に竜が炎を吐き出せるのは何故なのか?」
目を覚まさない彼の盗賊仲間四人。モネがその四人の入ったカプセルのレバーを下げると、カプセルの中身が潰れて血と液体が混り真っ黒な水ができる。
「それはね、竜の炎が《反魔法を押し退ける程の強大な魔力》だからさ。コレは尋常じゃない。例えるなら、人が指先の筋肉だけで空を飛ぶ様なモノさ!ではコレは人でも可能なのか?僕は可能と考える!!そう、例えば───複数の魂をひとつの《自我》に閉じ込める…とかね?」
黒い液体がグラスの酸素供給マスクに流れ込み、首から足まで拘束された男の頭だけが苦しみのあまり派手な音で暴れ狂う。しかしそれはただ黒いだけの水では無く、四人分の自我が混じり合った猛毒の汚水。溺死以前に、このままでは精神が喰われる。四つの自我が我こそはと肉体の支配権を奪おうと精神を引き裂いてくる。
己の自我が透明になっていく。思考が肉体に置き去りにされる。普通の死と違うのは、自分の肉体が別の誰かのモノになるという事だ。それは耐え難い恐怖に違いない。
(生きる)(生きる)(生きる)(生きる)(生きる)(生きる)
(生きる)(生きる)(生きる)(生きる)(生きる)(生きる)
もはや体の内側から聞こえる声の方が大きい。コイツらは、呪いだ。心や魂や精神なんて鮮やかな存在とは対極の、禍々しい執念の集合体だ。
「ア…ガ───」
・─ ─・─・・─・─ ─・
・─ ─・─・・─・─ ─・
・─ ─・─・・─・─ ─・
───だから喰った。四つとも喰った。呪いを喰うためには、自分も呪いになるしかない。誰よりも強い呪いになればいい。呪いをひとつ喰う度に、自分を構成する何かが壊れる音がした。
一つ目。人間性が消えた。愛が何か分からない。
二つ目。顔が消えた。己の名前さえ、もう思い出せない。
三つ目。心が消えた。心の穴を埋めようと、闇が一気に押し寄せた。
四つ目。───夢が消えた。
・─ ─・─・・─・─ ─・
・─ ─・─・・─・─ ─・
・─ ─・─・・─・─ ─・
───再び目を開けると、唾液の味がいつもと違う気がした。気分はひどく荒々しいのに、いつになく冷静な自分に驚いている。それだけでは無い…胸の奥に、どうしても届かなかった鼓動があった。
「へぇ…Eランクの魂を五個もくっつけるとSランク相当の魂になるのか…もしくはベースにしたリーダー君の自我が相当優秀だったかな。最も、寿命は大幅に縮んだろうけど。保って二ヶ月…けれどこの分なら、後に控えた大仕事に支障はなさそうだ」
全身の肌は呪いが染みた様に浅黒い。足元にはべちゃりと汚い布が落ちていたが、よく見ればそれはかつて自分の顔だった物。目の前の白髪男は善人そうな笑顔を向けて、飼い犬に話しかけるかのように。
「───大丈夫だよ。これからは君の大好きな魔法が沢山使えるからね」