「アリスティア・ロザモンド。君との婚約は破棄させてもらう!」
凛とした声がホールに響き渡りました。
ああ、そのセリフを生で聞けるなんて夢みたいです!
なんと素晴らしいお声なのでしょう。
激しさの中にも芯の強さが感じられます。
スマホに録音してエンドレスで聞いていたいです。
許されるのなら、耳元でもう一度言って欲しいのですがお願いできますでしょうか。
おっと、いけませんいけません。
推しの素敵な声を聞いて我を忘れてしまいました。
心を落ち着けましょう。
すぅ、はぁ。すぅ、はぁ。
精神的な深呼吸をすませます。
ガチで深呼吸なんてしたら目立ってしまいますからね。
目立つのはいけません。
ふと周りを見渡してみると、皆さまの表情が固まっておられました。
それはそうでしょう。
皇太子様が衆人環視の中で婚約を破棄すると宣言されたのですから。
テーブルの近くにおられるのは将軍の肩書を持つ偉丈夫です。
口をあんぐりと開けておられます。
あらあら。食べていた物が落ちてお召し物が汚れていますよ。
窓際に立っているのは知識豊富なイケメン宮廷魔術師なのですが、目元を隠すメガネがずり落ちてますね。
おかげでいつものクールさが吹き飛んでしまっています。
それからいくつかの輪を作っておられる女性陣。
その中でもひと際目立つのはピンクの髪をした美少女でしょうか。
手にした扇で口元を隠されています。
あら? 一瞬だけチラリと見えた口は笑っていませんでしたか?
きっと私の見間違いでしょう。
なにしろあの方はこの世界の元である乙女ゲームではヒロインだったのですから。
しかし、何故このような場所で、いきなりあんなことを皇太子様が口になされたのでしょうか。
冷たい目で見つめる皇太子様のお姿は素晴らしいの一言に尽きますけれども。
脳内に別名で保存しまくっておきます。
緊張のあまり姿勢を崩してしまった体で少し角度を変えて皇太子様の姿を瞳に捉え、これも別名で保存です。
いいですね。これはいいアングルです。
ゲームのスチルとは違う構図でこのシーンを見られるなんてファン冥利に尽きます。
おっと、いけませんいけません。
できるのならもう少し寄りで収めたいところですが、無暗に皇太子様に近寄るなんて、そんな恐れ多いことなどできるはずがありませんものね。
「君はこの国を継ぐ私の妃に相応しくない……と、思うのだ」
皇太子様はこのゲームのメインヒーローです。
パッケージでも中央に描かれていますしね。
画面の向こう側にいたときから思っていましたけど、やっぱりイケメンですよねえ。
今は輝くような金の髪をきっちりと撫でつけて、でも一筋だけ髪がほつれて額にかかっているところなんてグッとするほどセクシーです。
そして声。とってもいい声なんです。
ああ、音声再生モードで何度もリピートした声を生で聞けるなんて……幸せすぎます。
実はですね、これはすごく個人的なことなんですけどね。
たまたま中の人にお会いしたことがあるんですよ!
お店から出てくるときの声を聞いてピンときちゃったんです。
あ、これ、あの人だって。
はっきり言って感激しました。
声をあげずに叫んだぐらいですから。
握手してもらいたい、サインもらいたい、お気に入りのセリフを言ってもらいたい!
いろんな想いが一瞬で全身を駆け巡りました。
でも、でもですよ。
あくまで出会ったのはプライベートでのこと。イベントではないんです。
一ファンがオフの時間を邪魔していいはずがありません。
だから何事もなかったかのようにその場を通り過ぎました。
いや、人生初の地団駄をその場で踏んでしまったので挙動不審な人と思われたかもしれませんけど、とにかくその場を後にしました。
一緒にいた友達から「声かけないでよかったの?」と聞かれたとき、胸が張り裂けるほど悲しかったです。
でもこの選択は間違っていない。胸を張ってそう言えました。
おっと、いけませんいけません。
あの時のことを思い出すと、何故だか涙があふれてきてしまうのです。
今は少しだけ忘れておきましょう。
閑話休題。
この乙女ゲーム『ロイヤルブラッドデスティニィ』は本当に出来がよかったんです。
人間関係が複雑に絡み合う、意外性がありながらも納得のシナリオ。
ちょっとした油断がバッドエンドにつながるシビアさはありましたが、そこがイイんです。
ぬるくない感じが好きでした。
そしてプレイヤーキャラクターのヒロインを育成する際に一緒にいるキャラクターも成長していくというシステム。
このときに能力値だけでなく好感度も上下し、キャラクター間の関係性にも変化が生じるというシステムを利用して仲人プレイもできるゲームの柔軟性。
ヒロインがヒーローを攻略するだけではない自由度がそこにありました。
ヒロイン×悪役令嬢も、ヒーロー×ヒーローも、逆ハーレムも思いのまま。
とはいえ難しいカップリングを成立させるにはそれなりの難易度になるのですが、それもまたヨシ。
攻略魂が刺激されるというものです。
これまでたくさんのゲームをやりこんできましたが、『ロイニィ』には特にハマりました。
しかも特定のキャラやカップリングにではなくゲームそのものに。つまり箱として。
ええ。私は『ロイニィ』のすべてを愛しました。
それぐらいハマっていたんです。
もちろん友達にもすすめました。割と圧強めに。
SNSでお気に入りのキャラやシュチュについて語り出したら一晩中でも平気でした。
正直、周りは引いてたと思います。
でも好きだったんだから仕方がないじゃありませんか。
妄想がちなのでその想いを昇華するために字書きとして同人誌も作ってました。
友達と一緒にオンリーイベントも主催したぐらいです。
見本誌として一冊ずつお預かりして、すべてに目を通しました。
どの作品も愛にあふれていて素敵なものばかりでした。
普通にハマる場合は同人誌だけのことが多いんですけど、『ロイニィ』ハマりすぎて、恥ずかしながらコスプレなんかも……てへ。
あ、こう見えて裁縫は得意なんです。
他にもいろいろと資格を持っているんですけどね。
なんていうか、ハマった作品に関連することってなんでも知りたくなるじゃないですか。
それで習い事をしてたらあれこれ身に付いちゃって。
同人誌を作ったり買ったりしただけではありません。
関連商品は即日全入手です。
公式にはちゃんとお金を落とさなければなりません。
人気作品なんだとしっかり伝えることで次につながるのですから。
ファンレターを贈り、転売屋は通報し、ミュには全通しました。
もちろん家には『ロイニィ』の祭壇がありました。
ええ、そこはファンの嗜みですから。
我ながら素晴らしい飾り付けだったと思います。
SNSにアップしたらプチバズりもしましたけど。
怖いですよね、SNSって。
でも「いいですね!」「愛がありますね!」ってコメントをもらえるんですよ。
こういった心地よい交流ができたのも『ロイニィ』の素晴らしいところだと思います。
沈黙を肯定と受け取ったのか、皇太子様の発言が続きます。
「忘れたとは言わせない。5日前の風が強かった日のことだ。君は階段から友人を突き飛ばしてケガをさせようとしたな! それだけではない。先日は可愛い後輩のドレスを引き裂いたであろう!」
額にかかった髪を細く長い指が弾きました。
今のが皇太子様のキメポーズです。
よかったです。控えめに言って最高でした!
「それにこのところ君には怪しげな行動が多々見られるではないか。それはこの学園における大前提である情報漏洩禁止を破っているのではないか。どうだ!」
「なんということを……」
この場にいる全員の視線が集まります。
シンと静まり返ったダンスホールで青ざめて震えているだけのお嬢様――私がお仕えしているアリスティア・ロザモンド様に。
私はお嬢様の震える細い肩を抱きしめました。
そして耳元に話しかけたのです。
「お嬢様。このままだと次のスチルを見逃してしまいます!(今は泣いている場合ではありません)」
「………………え?」
真珠のような大粒の涙を目にためたお嬢様が振り返って私を見ています。
「なにを……言っているの?」
あ、いけませんいけません。
つい本音の方を口にしてしまいました。
「失礼しました。お嬢様。今は泣いている場合ではありません」
何事もなかったかのように言い直しておきます。
よくあることなので、お嬢様もツッコミを入れることなく頷いてくださいました。
さすが私がお仕えしているお嬢様です。
改めまして。
私はジル・ストーム。
ゲームである『ロイヤルブラッドデスティニィ』では物語序盤に退場するアリスティア・ロザモンドというサブヒロインにお仕えする女官でございます。
もっとも中の人はどこにでもいるようなOLなんですけどね。
ちょっとばかりゲームが好きで、同人誌とかコスプレとかしちゃいますけど、いたって普通の人ですよ、普通の。
実はこのシーンでなにも言い返せなかったアリス様はゲームから退場してしまいます。
それは即ち、お仕えする私もゲームから退場するということです。
いけませんいけません。
それは絶対に容認してはいけません!
だってこれから先にはさまざまなイベントがあって、私の推しがキャッキャウフフするシーンが目白押しなんですよ!
それを生で! この目で見られるんですよ!
この機会、絶対に逃すわけにはまいりません!
けれどお嬢様はこういう場面にとことん弱い方なのです。
ゲームでも今ひとつ影が薄いまま退場してしまいます。
でも性格はとてもお優しい、本当によい方なんですけどね。
ですからここは、お嬢様の女官である私がなんとかしなければなりません。
昂然と顔を上げます。
あ、お嬢様が私にもたれかかっていい匂いが……いけませんいけません。
今はこのフラグをなんとかするのが優先ですから!
「それらはすべて言いがかりです」
そういえば、こうして皇太子様に直接声をおかけするのって初めてでした。
今更ながら緊張してきちゃいましたよ。
「ふん。女官風情が口を挟むなどと。お前の言葉など誰が信じるか」
うわー! うわーうわーうわああああああ!
聞いてください。聞いてください!
い、今! 今ですね!
私の推しが! 皇太子様が! 私に声をかけてくれたんですよ!
【速報】私、推しに声をかけられる【朗報】
SNSで! 拡散したい!
ああああああ!
よかった! あの時、偶然、お店で出会ったあの時!
プライベートの場面で声をかけないでよかったあああああああ。
ふー。いけませんいけません。
落ち着きましょう。
テンションが振り切ってちょっと天国が見えてました。
女官風情がと皇太子様はおっしゃいましたが、主人に代わって発言をするのも女官の務めです。
ただし、注意しなければならないことがあります。
この世界において、女官の命はワタアメぐらい軽いんです。
盗みのような罪を犯せば当然連れていかれます。
仕事でなにか失敗をしたら割とあっさり連れていかれます。
濡れ衣を着せられてそれを晴らせなくても連れていかれます。
どこへ?
刑場へ!
ちなみに衛兵や門番も同じぐらいのライフレートになっております。
女官よりレートが低いのは下男あたりですかね。
数も多いので、かなりお安めの設定のようです。
貴族や将軍や王子なら少し高いライフレートですから、しばらくは牢で過ごすこともありますが。
でも結果的に刑場へ行くとか、牢屋で毒を盛られてさようならとか普通にあるんですけどね。
命軽いよね!
そこがゲームではよかったんだけどね!
リアルで自分がその立場に置かれたらちょっとどころかかなりビビるよね!
でもだからってここを引くわけにはいきません。
遠慮なくいかせていただきますよ。
だってこのフラグをへし折らないと退場させられちゃうんですから!
「先ほど5日前とおっしゃいましたが」
「そうだ。風の強い日だった」
「はい、たしかにたいそう風の強い日でございましたね。実はその日、お嬢様は将軍様の招待を受けておりました。ですから階段から誰かを突き落とすことなどできないのです」
「なに?」
ああ、驚いたようなそのお顔も美しい。
素早く脳内に別名で保存します。
「それは……まことなのか?」
「ああ。その証言は俺が保証しよう」
そう言ってくださったのはソースで胸元が汚れている将軍でした。
請け負ってくださった将軍はこちらを見て笑いかけてくださいます。
日に焼けて浅黒い肌がまた健康的でいいんですよね。
当然、脳内に別名で保存です。
「な、なぜそのようなことを……彼女は私の婚約者だぞっ」
「うむ。キツネ狩りに誘ってみたのだ」
「だから私の婚約者をなに狩りになんか誘ってるのだと言っている!」
「いやいや。勘違い召されるな。俺が誘ったのは女官の方だ。お嬢様はおまけだ」
「お、おまっ。言うに事を欠いておまけだと……ありえないだろうっ」
「はっはっは。すまんすまん」
将軍はちょっぴりガサツだけど、本質的にはいい方なのです。
そもそも淑女を狩りに誘うか?と思うんですけどね。そういうズレたところが将軍の売りでもあるので。
なんというか、痛し痒し?みたいな。
「まあ、いい。それについてはまた話し合うとしよう」
皇太子様はこめかみをほぐしておられます。
ああ、いいですね。
そのイラつきポーズもゲームで見られました。
即脳内に別名で保存しておきます。
「だがドレスの件はなんとする。淑女の召し物を傷つけるとは不届千万であろう!」
「たしかに非道な行いだと思います」
「それをそなたの主人がしでかしたと言っている!」
「ではお嬢様が行ったという証拠をご提示ください。使用した凶器も添えていただけるでしょうか」
「ぐむ……」
「……ないのですね?」
「む、むむむ……」
「そもそも自作自演の可能性も考えるべきではないでしょうか」
「か、彼女がそのようなことをする、とは思えん……の、だが……」
とても歯切れが悪い。
そのでっち上げをした人が誰か予想がついてしまいますよ?
ほら、あそこの輪にいるお一人がさり気なく視線をそらしています。
「ですがドレスが台無しになってしまったのはなんとかして差し上げなければなりませんね。どうしてもご入用ということでしたらいつでもご相談ください。幸いなことに、私にはこの国で一番の大商人に伝手がございます。あの方に用意できない品はありません」
「その通りです。皇太子殿下。私がいつでもご用意いたします」
褐色の青年は大商人のご子息です。
ゲームにおける私の親が彼の一族に雇われているんですよね。
だからこのキャラクターがすっごく尊敬している人物で、ご主人様と呼んでいます。
ちなみにゲームでは隠し攻略対象でした。
そんなキャラを仲人プレイで意中の相手とくっつけるのがいいんですよねえ。
「くっ……そ、それでは怪しげな行動についてはどうだ!」
「ぼんやりと怪しげな行動と言われましても困るのですが……」
「中庭だ! そこで怪しい行動をしていたと複数の人間から聞いている! なんでも細い糸のようなものを持って空を見上げていたそうではないか!」
「それでしたらただの遊戯です」
「……なに?」
「なんでもどこか遠くの国の遊びなのだとか。詳しいことは宮廷魔術師様にお聞きください」
話を振ると、イケメンはメガネをクイツと上げた。
それそれ! メガネキャラ定番のポーズですよね!
光の反射具合でしょうか。レンズの奥にある目が見えないのが実にいいです。芸術的です!
「い、今の話は本当なのか?」
「はい。実は僕も書物でしか読んだことがなく、よくわからない代物だったのですが。資料によると空高く飛ぶとあったのですが何度やっても上手くいかない。あれこれ試行錯誤していたのですが、そこにたまたまロザモンド嬢たちが通りかかりまして。悩む僕にそこの女官がアドバイスをしてくれたのですよ。長い尻尾のようなものをつけたらどうかとね。半信半疑で試してみたら驚くことに見事に飛んだのですよ! いやあ、あれはよい体験でした。ああ、そうです。よければ殿下も今度一緒にどうですか。楽しいですよ」
「い、いや……よい」
どこか疲れたような表情をなさっておいでです。
あ、でもこの表情も味わい深くていいんですよねえ。
脳内に別名で保存しておきましょう。
「こ、これは言いたくはなかったのだが……」
右手で顔を覆った皇太子様が震える声で続けます。
「ふ、不義密通をしていた疑いもあるのだ……信じたくはない。信じたくはないのだが……」
不義密通って、このお嬢様がですか?
私を含めた全員がアリス様を見つめます。
お嬢様は困ったように微笑むだけです。
こういうところでなにも言えない方なんですよねえ。
そこがいいんですけど!
「あの、どなたとでしょうか……」
それを聞かなければ始まらない。
皇太子様が一人の人物を指さした。
そこにたたずむのは青く長い髪をした王子様でした。
彼ははるか遠い国から、半ば人質という形でやってきたのです。
美形揃いの『ロイニィ』においても白眉のキャラと言えばこの方を置いて他にはありません。
当然のようにゲームではサブヒーローでした。
公式はやることが憎いんですよ。
こういうおいしいキャラの出番を減らして焦らすんですから。
遠方の新参国なのでなにかと立場が弱く、陰謀に巻き込まれては死亡フラグが立ってしまうその不幸っぷりに、ゲームでは涙を禁じ得ませんでした。
そういうキャラを仲人プレイでハッピーエンドに導くのが最高に楽しいんですけど!
ちなみにこの王子様。純粋な人間ではありません。
設定では竜神と妖精のハーフになってます。
この美貌も納得の設定ですよね。
「そこの王子が泣いていた。そして彼女が抱きしめているところを……私が、見たのだ」
苦悩する皇太子様もいいわー。
唇を噛み締めるところなんて惚れ惚れしちゃいますよ。
「わた、しの……俺の婚約者であれば、他の男と触れ合うなど言語道断であろう! 違うか!」
これまでとは明らかにテンションが違います。
なにしろご自分が目撃してしまったのですから信用度はこれまでとは段違い。
信じたくない、でも目にしてしまった。
その苦しみが痛いほど伝わってきます。
とはいえ、ここでお嬢様のフラグを折らなければ私も一緒に退場なのですから心を鬼にするしかないのです。
泣いてもいいんですよ、皇太子様。
私は一匹の鬼なんですから。
「お恥ずかしながら――」
私の機先を制したのは当の王子様でした。
鬼ではなく竜が相手をするようです。
「初めてのことで自分も混乱をしていたのです。申し訳ありません」
「なな、なんと……やはりあれは……私の見間違いでは、なかった、のか……」
膝から皇太子様が崩れ落ちました。
今、結構、鈍い音がしましたけど大丈夫ですか?
聖女様を呼んできましょうか?
「言葉が足りず申し訳ありません。皇太子様の考えているようなことはなにもありませんでしたから」
「なに? だが君たちは抱き合っていたではないか」
「あの時、自分は遠く離れた故郷のことを想っておりました。懐かしい国や人々のことを思い出して嘆いていると、アリスティア様はこう教えてくれたのです。寂しいと思えるほど貴方は国を愛しておいでなのですね、と」
王子様は薄く微笑まれます。
ああ、その不幸が絡みつくような笑顔がいいですね。
控えめに言って最高です!
「その言葉に感動した私は初めて目からウロコが落ちるというのを体験しました。ほら、このように」
王子様が懐からなにかを取り出しました。
それはキラキラしていてとても綺麗です。
「おお、それこそは竜神の瞳!」
驚きの声をあげたのはご主人様でした。
「竜神種の瞳から零れ落ちたウロコです。奇跡を起こすと言われる逸品でございます。まさかそのような貴重な品をこの目にできるとは……眼福でした」
「初めてウロコが落ちたのに驚いて倒れそうになったところをアリスティア様に支えて貰ったのです」
竜神の血を引く王子様は人間とは異なる設定があるんです。
たとえば首をぐるりと、まるでチョーカーのようにウロコが並んでいます。
当然、一枚だけ反対についてるウロコがあるんですけどね。
触ったらなにが起こるか?
それは私の口からはちょっと……。
そしてこの『目からウロコ』も設定の一つ。
なにか驚くことがある度に繰り出されるお寒いギャグとして『ロイニィ』ファンから愛されていました。
ゲームではこのウロコが何枚も入手可能でした。
大切にとっておくこともできるんですが、売るとかなりのお金が入手できるんですよね。
お店で売っているものを買い占めできちゃうのでバグ扱いされてます。
この先、王子様のお寒いギャグを何度見られるんでしょうか。
今から楽しみでなりません。
「あの時、そのまま倒れていたら私はケガをしていたかもしれません。アリスティア様の優しいお心遣いに感謝いたします。しかしそのことが婚約破棄に繋がってしまうというのならば私の不徳の致すところ。この命を捧げますので、どうかご容赦ください」
「ぐ、ぐぬぬ……」
皇太子様が悔しそうな顔をするのも無理はありません。
他国から来た王子の命をこのような形で奪ってしまえば内乱を引き起こしかねないのですから。
張り詰めた糸のような緊張感はすっかり弛緩していました。
むしろ、この始末をどうするんだろうと気遣う気配が感じられるほどです。
「もう余興はよい」
苛立たしげな声をあげたのは国王様でした。
「みなも解散するがいい。今日の宴は終わりじゃ」
その一言でフラグを折り切ったのを確信しました。
やったね、私!
退場しないですむよ!
「ありがとう、ジル。あなたのおかげよ」
さっきまで血の気を失っていたお嬢様が微笑んでいます。
「いいえ、たいしたことはしていません」
「ジルはいつも控えめよね」
「そんなことはないと思いますけど」
だってここでお嬢様が婚約を破棄されて退場してしまうと、一緒に私も立ち去らなければならないのですから。
それではこの世界でこれから起きるあんなことやこんなことが楽しめないじゃないですか!
皇太子×王子も素敵なんですよ。
いざという時の将軍の頼もしいことといったら。
宮廷魔術師は知識が豊富で会話が楽しいのです。
私の腐った妄想を続けるためにもお嬢様にはこれからもいていただきますとも。
そのために、この先に立つであろうフラグは全部私が折らせていただきますからね!
凛とした声がホールに響き渡りました。
ああ、そのセリフを生で聞けるなんて夢みたいです!
なんと素晴らしいお声なのでしょう。
激しさの中にも芯の強さが感じられます。
スマホに録音してエンドレスで聞いていたいです。
許されるのなら、耳元でもう一度言って欲しいのですがお願いできますでしょうか。
おっと、いけませんいけません。
推しの素敵な声を聞いて我を忘れてしまいました。
心を落ち着けましょう。
すぅ、はぁ。すぅ、はぁ。
精神的な深呼吸をすませます。
ガチで深呼吸なんてしたら目立ってしまいますからね。
目立つのはいけません。
ふと周りを見渡してみると、皆さまの表情が固まっておられました。
それはそうでしょう。
皇太子様が衆人環視の中で婚約を破棄すると宣言されたのですから。
テーブルの近くにおられるのは将軍の肩書を持つ偉丈夫です。
口をあんぐりと開けておられます。
あらあら。食べていた物が落ちてお召し物が汚れていますよ。
窓際に立っているのは知識豊富なイケメン宮廷魔術師なのですが、目元を隠すメガネがずり落ちてますね。
おかげでいつものクールさが吹き飛んでしまっています。
それからいくつかの輪を作っておられる女性陣。
その中でもひと際目立つのはピンクの髪をした美少女でしょうか。
手にした扇で口元を隠されています。
あら? 一瞬だけチラリと見えた口は笑っていませんでしたか?
きっと私の見間違いでしょう。
なにしろあの方はこの世界の元である乙女ゲームではヒロインだったのですから。
しかし、何故このような場所で、いきなりあんなことを皇太子様が口になされたのでしょうか。
冷たい目で見つめる皇太子様のお姿は素晴らしいの一言に尽きますけれども。
脳内に別名で保存しまくっておきます。
緊張のあまり姿勢を崩してしまった体で少し角度を変えて皇太子様の姿を瞳に捉え、これも別名で保存です。
いいですね。これはいいアングルです。
ゲームのスチルとは違う構図でこのシーンを見られるなんてファン冥利に尽きます。
おっと、いけませんいけません。
できるのならもう少し寄りで収めたいところですが、無暗に皇太子様に近寄るなんて、そんな恐れ多いことなどできるはずがありませんものね。
「君はこの国を継ぐ私の妃に相応しくない……と、思うのだ」
皇太子様はこのゲームのメインヒーローです。
パッケージでも中央に描かれていますしね。
画面の向こう側にいたときから思っていましたけど、やっぱりイケメンですよねえ。
今は輝くような金の髪をきっちりと撫でつけて、でも一筋だけ髪がほつれて額にかかっているところなんてグッとするほどセクシーです。
そして声。とってもいい声なんです。
ああ、音声再生モードで何度もリピートした声を生で聞けるなんて……幸せすぎます。
実はですね、これはすごく個人的なことなんですけどね。
たまたま中の人にお会いしたことがあるんですよ!
お店から出てくるときの声を聞いてピンときちゃったんです。
あ、これ、あの人だって。
はっきり言って感激しました。
声をあげずに叫んだぐらいですから。
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いろんな想いが一瞬で全身を駆け巡りました。
でも、でもですよ。
あくまで出会ったのはプライベートでのこと。イベントではないんです。
一ファンがオフの時間を邪魔していいはずがありません。
だから何事もなかったかのようにその場を通り過ぎました。
いや、人生初の地団駄をその場で踏んでしまったので挙動不審な人と思われたかもしれませんけど、とにかくその場を後にしました。
一緒にいた友達から「声かけないでよかったの?」と聞かれたとき、胸が張り裂けるほど悲しかったです。
でもこの選択は間違っていない。胸を張ってそう言えました。
おっと、いけませんいけません。
あの時のことを思い出すと、何故だか涙があふれてきてしまうのです。
今は少しだけ忘れておきましょう。
閑話休題。
この乙女ゲーム『ロイヤルブラッドデスティニィ』は本当に出来がよかったんです。
人間関係が複雑に絡み合う、意外性がありながらも納得のシナリオ。
ちょっとした油断がバッドエンドにつながるシビアさはありましたが、そこがイイんです。
ぬるくない感じが好きでした。
そしてプレイヤーキャラクターのヒロインを育成する際に一緒にいるキャラクターも成長していくというシステム。
このときに能力値だけでなく好感度も上下し、キャラクター間の関係性にも変化が生じるというシステムを利用して仲人プレイもできるゲームの柔軟性。
ヒロインがヒーローを攻略するだけではない自由度がそこにありました。
ヒロイン×悪役令嬢も、ヒーロー×ヒーローも、逆ハーレムも思いのまま。
とはいえ難しいカップリングを成立させるにはそれなりの難易度になるのですが、それもまたヨシ。
攻略魂が刺激されるというものです。
これまでたくさんのゲームをやりこんできましたが、『ロイニィ』には特にハマりました。
しかも特定のキャラやカップリングにではなくゲームそのものに。つまり箱として。
ええ。私は『ロイニィ』のすべてを愛しました。
それぐらいハマっていたんです。
もちろん友達にもすすめました。割と圧強めに。
SNSでお気に入りのキャラやシュチュについて語り出したら一晩中でも平気でした。
正直、周りは引いてたと思います。
でも好きだったんだから仕方がないじゃありませんか。
妄想がちなのでその想いを昇華するために字書きとして同人誌も作ってました。
友達と一緒にオンリーイベントも主催したぐらいです。
見本誌として一冊ずつお預かりして、すべてに目を通しました。
どの作品も愛にあふれていて素敵なものばかりでした。
普通にハマる場合は同人誌だけのことが多いんですけど、『ロイニィ』ハマりすぎて、恥ずかしながらコスプレなんかも……てへ。
あ、こう見えて裁縫は得意なんです。
他にもいろいろと資格を持っているんですけどね。
なんていうか、ハマった作品に関連することってなんでも知りたくなるじゃないですか。
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同人誌を作ったり買ったりしただけではありません。
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我ながら素晴らしい飾り付けだったと思います。
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でも「いいですね!」「愛がありますね!」ってコメントをもらえるんですよ。
こういった心地よい交流ができたのも『ロイニィ』の素晴らしいところだと思います。
沈黙を肯定と受け取ったのか、皇太子様の発言が続きます。
「忘れたとは言わせない。5日前の風が強かった日のことだ。君は階段から友人を突き飛ばしてケガをさせようとしたな! それだけではない。先日は可愛い後輩のドレスを引き裂いたであろう!」
額にかかった髪を細く長い指が弾きました。
今のが皇太子様のキメポーズです。
よかったです。控えめに言って最高でした!
「それにこのところ君には怪しげな行動が多々見られるではないか。それはこの学園における大前提である情報漏洩禁止を破っているのではないか。どうだ!」
「なんということを……」
この場にいる全員の視線が集まります。
シンと静まり返ったダンスホールで青ざめて震えているだけのお嬢様――私がお仕えしているアリスティア・ロザモンド様に。
私はお嬢様の震える細い肩を抱きしめました。
そして耳元に話しかけたのです。
「お嬢様。このままだと次のスチルを見逃してしまいます!(今は泣いている場合ではありません)」
「………………え?」
真珠のような大粒の涙を目にためたお嬢様が振り返って私を見ています。
「なにを……言っているの?」
あ、いけませんいけません。
つい本音の方を口にしてしまいました。
「失礼しました。お嬢様。今は泣いている場合ではありません」
何事もなかったかのように言い直しておきます。
よくあることなので、お嬢様もツッコミを入れることなく頷いてくださいました。
さすが私がお仕えしているお嬢様です。
改めまして。
私はジル・ストーム。
ゲームである『ロイヤルブラッドデスティニィ』では物語序盤に退場するアリスティア・ロザモンドというサブヒロインにお仕えする女官でございます。
もっとも中の人はどこにでもいるようなOLなんですけどね。
ちょっとばかりゲームが好きで、同人誌とかコスプレとかしちゃいますけど、いたって普通の人ですよ、普通の。
実はこのシーンでなにも言い返せなかったアリス様はゲームから退場してしまいます。
それは即ち、お仕えする私もゲームから退場するということです。
いけませんいけません。
それは絶対に容認してはいけません!
だってこれから先にはさまざまなイベントがあって、私の推しがキャッキャウフフするシーンが目白押しなんですよ!
それを生で! この目で見られるんですよ!
この機会、絶対に逃すわけにはまいりません!
けれどお嬢様はこういう場面にとことん弱い方なのです。
ゲームでも今ひとつ影が薄いまま退場してしまいます。
でも性格はとてもお優しい、本当によい方なんですけどね。
ですからここは、お嬢様の女官である私がなんとかしなければなりません。
昂然と顔を上げます。
あ、お嬢様が私にもたれかかっていい匂いが……いけませんいけません。
今はこのフラグをなんとかするのが優先ですから!
「それらはすべて言いがかりです」
そういえば、こうして皇太子様に直接声をおかけするのって初めてでした。
今更ながら緊張してきちゃいましたよ。
「ふん。女官風情が口を挟むなどと。お前の言葉など誰が信じるか」
うわー! うわーうわーうわああああああ!
聞いてください。聞いてください!
い、今! 今ですね!
私の推しが! 皇太子様が! 私に声をかけてくれたんですよ!
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SNSで! 拡散したい!
ああああああ!
よかった! あの時、偶然、お店で出会ったあの時!
プライベートの場面で声をかけないでよかったあああああああ。
ふー。いけませんいけません。
落ち着きましょう。
テンションが振り切ってちょっと天国が見えてました。
女官風情がと皇太子様はおっしゃいましたが、主人に代わって発言をするのも女官の務めです。
ただし、注意しなければならないことがあります。
この世界において、女官の命はワタアメぐらい軽いんです。
盗みのような罪を犯せば当然連れていかれます。
仕事でなにか失敗をしたら割とあっさり連れていかれます。
濡れ衣を着せられてそれを晴らせなくても連れていかれます。
どこへ?
刑場へ!
ちなみに衛兵や門番も同じぐらいのライフレートになっております。
女官よりレートが低いのは下男あたりですかね。
数も多いので、かなりお安めの設定のようです。
貴族や将軍や王子なら少し高いライフレートですから、しばらくは牢で過ごすこともありますが。
でも結果的に刑場へ行くとか、牢屋で毒を盛られてさようならとか普通にあるんですけどね。
命軽いよね!
そこがゲームではよかったんだけどね!
リアルで自分がその立場に置かれたらちょっとどころかかなりビビるよね!
でもだからってここを引くわけにはいきません。
遠慮なくいかせていただきますよ。
だってこのフラグをへし折らないと退場させられちゃうんですから!
「先ほど5日前とおっしゃいましたが」
「そうだ。風の強い日だった」
「はい、たしかにたいそう風の強い日でございましたね。実はその日、お嬢様は将軍様の招待を受けておりました。ですから階段から誰かを突き落とすことなどできないのです」
「なに?」
ああ、驚いたようなそのお顔も美しい。
素早く脳内に別名で保存します。
「それは……まことなのか?」
「ああ。その証言は俺が保証しよう」
そう言ってくださったのはソースで胸元が汚れている将軍でした。
請け負ってくださった将軍はこちらを見て笑いかけてくださいます。
日に焼けて浅黒い肌がまた健康的でいいんですよね。
当然、脳内に別名で保存です。
「な、なぜそのようなことを……彼女は私の婚約者だぞっ」
「うむ。キツネ狩りに誘ってみたのだ」
「だから私の婚約者をなに狩りになんか誘ってるのだと言っている!」
「いやいや。勘違い召されるな。俺が誘ったのは女官の方だ。お嬢様はおまけだ」
「お、おまっ。言うに事を欠いておまけだと……ありえないだろうっ」
「はっはっは。すまんすまん」
将軍はちょっぴりガサツだけど、本質的にはいい方なのです。
そもそも淑女を狩りに誘うか?と思うんですけどね。そういうズレたところが将軍の売りでもあるので。
なんというか、痛し痒し?みたいな。
「まあ、いい。それについてはまた話し合うとしよう」
皇太子様はこめかみをほぐしておられます。
ああ、いいですね。
そのイラつきポーズもゲームで見られました。
即脳内に別名で保存しておきます。
「だがドレスの件はなんとする。淑女の召し物を傷つけるとは不届千万であろう!」
「たしかに非道な行いだと思います」
「それをそなたの主人がしでかしたと言っている!」
「ではお嬢様が行ったという証拠をご提示ください。使用した凶器も添えていただけるでしょうか」
「ぐむ……」
「……ないのですね?」
「む、むむむ……」
「そもそも自作自演の可能性も考えるべきではないでしょうか」
「か、彼女がそのようなことをする、とは思えん……の、だが……」
とても歯切れが悪い。
そのでっち上げをした人が誰か予想がついてしまいますよ?
ほら、あそこの輪にいるお一人がさり気なく視線をそらしています。
「ですがドレスが台無しになってしまったのはなんとかして差し上げなければなりませんね。どうしてもご入用ということでしたらいつでもご相談ください。幸いなことに、私にはこの国で一番の大商人に伝手がございます。あの方に用意できない品はありません」
「その通りです。皇太子殿下。私がいつでもご用意いたします」
褐色の青年は大商人のご子息です。
ゲームにおける私の親が彼の一族に雇われているんですよね。
だからこのキャラクターがすっごく尊敬している人物で、ご主人様と呼んでいます。
ちなみにゲームでは隠し攻略対象でした。
そんなキャラを仲人プレイで意中の相手とくっつけるのがいいんですよねえ。
「くっ……そ、それでは怪しげな行動についてはどうだ!」
「ぼんやりと怪しげな行動と言われましても困るのですが……」
「中庭だ! そこで怪しい行動をしていたと複数の人間から聞いている! なんでも細い糸のようなものを持って空を見上げていたそうではないか!」
「それでしたらただの遊戯です」
「……なに?」
「なんでもどこか遠くの国の遊びなのだとか。詳しいことは宮廷魔術師様にお聞きください」
話を振ると、イケメンはメガネをクイツと上げた。
それそれ! メガネキャラ定番のポーズですよね!
光の反射具合でしょうか。レンズの奥にある目が見えないのが実にいいです。芸術的です!
「い、今の話は本当なのか?」
「はい。実は僕も書物でしか読んだことがなく、よくわからない代物だったのですが。資料によると空高く飛ぶとあったのですが何度やっても上手くいかない。あれこれ試行錯誤していたのですが、そこにたまたまロザモンド嬢たちが通りかかりまして。悩む僕にそこの女官がアドバイスをしてくれたのですよ。長い尻尾のようなものをつけたらどうかとね。半信半疑で試してみたら驚くことに見事に飛んだのですよ! いやあ、あれはよい体験でした。ああ、そうです。よければ殿下も今度一緒にどうですか。楽しいですよ」
「い、いや……よい」
どこか疲れたような表情をなさっておいでです。
あ、でもこの表情も味わい深くていいんですよねえ。
脳内に別名で保存しておきましょう。
「こ、これは言いたくはなかったのだが……」
右手で顔を覆った皇太子様が震える声で続けます。
「ふ、不義密通をしていた疑いもあるのだ……信じたくはない。信じたくはないのだが……」
不義密通って、このお嬢様がですか?
私を含めた全員がアリス様を見つめます。
お嬢様は困ったように微笑むだけです。
こういうところでなにも言えない方なんですよねえ。
そこがいいんですけど!
「あの、どなたとでしょうか……」
それを聞かなければ始まらない。
皇太子様が一人の人物を指さした。
そこにたたずむのは青く長い髪をした王子様でした。
彼ははるか遠い国から、半ば人質という形でやってきたのです。
美形揃いの『ロイニィ』においても白眉のキャラと言えばこの方を置いて他にはありません。
当然のようにゲームではサブヒーローでした。
公式はやることが憎いんですよ。
こういうおいしいキャラの出番を減らして焦らすんですから。
遠方の新参国なのでなにかと立場が弱く、陰謀に巻き込まれては死亡フラグが立ってしまうその不幸っぷりに、ゲームでは涙を禁じ得ませんでした。
そういうキャラを仲人プレイでハッピーエンドに導くのが最高に楽しいんですけど!
ちなみにこの王子様。純粋な人間ではありません。
設定では竜神と妖精のハーフになってます。
この美貌も納得の設定ですよね。
「そこの王子が泣いていた。そして彼女が抱きしめているところを……私が、見たのだ」
苦悩する皇太子様もいいわー。
唇を噛み締めるところなんて惚れ惚れしちゃいますよ。
「わた、しの……俺の婚約者であれば、他の男と触れ合うなど言語道断であろう! 違うか!」
これまでとは明らかにテンションが違います。
なにしろご自分が目撃してしまったのですから信用度はこれまでとは段違い。
信じたくない、でも目にしてしまった。
その苦しみが痛いほど伝わってきます。
とはいえ、ここでお嬢様のフラグを折らなければ私も一緒に退場なのですから心を鬼にするしかないのです。
泣いてもいいんですよ、皇太子様。
私は一匹の鬼なんですから。
「お恥ずかしながら――」
私の機先を制したのは当の王子様でした。
鬼ではなく竜が相手をするようです。
「初めてのことで自分も混乱をしていたのです。申し訳ありません」
「なな、なんと……やはりあれは……私の見間違いでは、なかった、のか……」
膝から皇太子様が崩れ落ちました。
今、結構、鈍い音がしましたけど大丈夫ですか?
聖女様を呼んできましょうか?
「言葉が足りず申し訳ありません。皇太子様の考えているようなことはなにもありませんでしたから」
「なに? だが君たちは抱き合っていたではないか」
「あの時、自分は遠く離れた故郷のことを想っておりました。懐かしい国や人々のことを思い出して嘆いていると、アリスティア様はこう教えてくれたのです。寂しいと思えるほど貴方は国を愛しておいでなのですね、と」
王子様は薄く微笑まれます。
ああ、その不幸が絡みつくような笑顔がいいですね。
控えめに言って最高です!
「その言葉に感動した私は初めて目からウロコが落ちるというのを体験しました。ほら、このように」
王子様が懐からなにかを取り出しました。
それはキラキラしていてとても綺麗です。
「おお、それこそは竜神の瞳!」
驚きの声をあげたのはご主人様でした。
「竜神種の瞳から零れ落ちたウロコです。奇跡を起こすと言われる逸品でございます。まさかそのような貴重な品をこの目にできるとは……眼福でした」
「初めてウロコが落ちたのに驚いて倒れそうになったところをアリスティア様に支えて貰ったのです」
竜神の血を引く王子様は人間とは異なる設定があるんです。
たとえば首をぐるりと、まるでチョーカーのようにウロコが並んでいます。
当然、一枚だけ反対についてるウロコがあるんですけどね。
触ったらなにが起こるか?
それは私の口からはちょっと……。
そしてこの『目からウロコ』も設定の一つ。
なにか驚くことがある度に繰り出されるお寒いギャグとして『ロイニィ』ファンから愛されていました。
ゲームではこのウロコが何枚も入手可能でした。
大切にとっておくこともできるんですが、売るとかなりのお金が入手できるんですよね。
お店で売っているものを買い占めできちゃうのでバグ扱いされてます。
この先、王子様のお寒いギャグを何度見られるんでしょうか。
今から楽しみでなりません。
「あの時、そのまま倒れていたら私はケガをしていたかもしれません。アリスティア様の優しいお心遣いに感謝いたします。しかしそのことが婚約破棄に繋がってしまうというのならば私の不徳の致すところ。この命を捧げますので、どうかご容赦ください」
「ぐ、ぐぬぬ……」
皇太子様が悔しそうな顔をするのも無理はありません。
他国から来た王子の命をこのような形で奪ってしまえば内乱を引き起こしかねないのですから。
張り詰めた糸のような緊張感はすっかり弛緩していました。
むしろ、この始末をどうするんだろうと気遣う気配が感じられるほどです。
「もう余興はよい」
苛立たしげな声をあげたのは国王様でした。
「みなも解散するがいい。今日の宴は終わりじゃ」
その一言でフラグを折り切ったのを確信しました。
やったね、私!
退場しないですむよ!
「ありがとう、ジル。あなたのおかげよ」
さっきまで血の気を失っていたお嬢様が微笑んでいます。
「いいえ、たいしたことはしていません」
「ジルはいつも控えめよね」
「そんなことはないと思いますけど」
だってここでお嬢様が婚約を破棄されて退場してしまうと、一緒に私も立ち去らなければならないのですから。
それではこの世界でこれから起きるあんなことやこんなことが楽しめないじゃないですか!
皇太子×王子も素敵なんですよ。
いざという時の将軍の頼もしいことといったら。
宮廷魔術師は知識が豊富で会話が楽しいのです。
私の腐った妄想を続けるためにもお嬢様にはこれからもいていただきますとも。
そのために、この先に立つであろうフラグは全部私が折らせていただきますからね!