見学

(一)


 キンキンに冷房の効いたホールの扉を開けて表に出ると、突き刺すように強烈な真夏の日差しが襲った。そのあまりのまぶしさに、【バーニィ・キャプリス】は思わず手のひらで顔を覆《おお》ってしまった。
「うわぁ、暑《あっつ》ぅい!」
 そばにいたアニスは、たまらず声を上げた。
「でも、いい天気になってよかったよ」
 バーニィはそう言いながら、制服のネクタイを少しだけゆるめた。
「ん、そうだね」
 バーニィのそのしぐさに同調するようにそう言うと、アニスはにっこりとほほえんだ。
 【アニス・ブレア】はバーニィにとって、もっとも気心の知れた幼なじみの同級生《クラスメイト》だ。
 前髪以外には、生まれたときからいちどもハサミを入れたことがないという、長い赤毛の|おさげ髪《ツインテール》と、口を閉じていても見えてしまう左の片八重歯が彼女のご自慢である。今どきの女の子にはめずらしいことだが、美容院《ヘアサロン》で髪を切ったり歯列矯正具を使うことは、どうやら彼女自身のライフスタイルに反するらしい。
 だが、なんといってもアニスに関して特筆すべきチャームポイントは、いつも明るく前向きな性格と、はじけるような笑顔であることは間違いないと、バーニィは思っていた。
「それにしても、なんかココってつまんないよねー」
「そう? 僕はけっこう好きだけどな」
「そりゃ、男の子たちはイイかもしんないけどさ。どうせならあたしは、山とか湖とかもっと自然のキレイなところに連れてってほしかったよ」
 アニスは顔ににじんだ汗を拭いながら、率直に不満を口にした。
 彼ら、市立サングリア中学校に通う二年生の生徒たちは、コーラルシティーにあるこのタマス海軍基地に、社会科見学にやって来ていたのだった。
 バーニィたちの住むこのコーラルシティーは、アメルリア連邦共和国の中では比較的穏やかな気候を持った海辺の地方都市である。中でもここタマスは、海軍の拠点のひとつとして重要な意味を持っていた。この基地への訪問学習は、コーラルシティーの中学生たちにとって、いわば夏休み前の恒例行事であったのだ。
 すでに午前中に、タマス海軍基地のあらましを紹介する記録映画《ドキュメンタリー》を、巨大シアターで観賞し終えた彼らには、この後二時間あまりの自由時間が与えられていた。あたりには、ほかの生徒たちが三々五々と散らばっていくのが見えた。
「ねえアニス、もうお昼にするの?」
 そのとき、【エミリア・シャンディ】がふたりに問いかけた。
 ふんわりと優しくカールした|金髪《ブロンド》と、左目の下に泣きぼくろをもつ彼女は、学校でも一、二を争うと評判の美少女だ。だが当人は、そんなことをまったく意に介すこともなく、つねにいたってマイペースにふるまっている。そんなところが、なおさら周囲の人気を集めている理由のひとつなのかもしれない。
 バーニィと同じクラスであり、今回の見学でもいっしょに回ることとなったエミリアは、アニスとは古くからの親友同士である。おっとりとしていて、著名な大学教授の|ご令嬢《フロイライン》である彼女は、町の|老舗パン屋《ベーカリー》の看板娘で元気いっぱいのアニスとは一見不釣り合いなようであったが、なぜか不思議と波長が合うようだった。アニスは、腕時計を見ながら言った。
「うーん。まだ、ちょっと早いんじゃないかなあ。どうする、バーニィ?」
「そうだなあ。……どうだろう、ハンス。歴史資料館《ミュージアム》にでも行ってみようか」
 バーニィは振り向いて、自分のすぐ後ろを歩いていた長身の少年に話しかける。
「んん……」
 彼の名は、【ハンス・フリューゲル】。腕利きで知られる昔|気質《かたぎ》の自動車工の父親を持つ彼には、まだ幼い弟や妹たちがいるせいか、同年代の仲間よりも落ち着いた雰囲気があった。いつも寡《か》黙《もく》で穏やかな性格で、良くも悪くも自分の意見や主張をあまり表情には出さない生徒である。バーニィの問いに対し、ハンスはしばらく考えをめぐらせていた。
「……正直、ここの資料館の展示にはあまり興味をそそられないな、キャプリス」
 そう答えたのはハンスではなく、彼の隣にいた【クリフ・パーキンス】だった。
 背の高いハンスとは対照的に、小学生並みに小柄で色白なこの少年は、その顔には少々大きすぎるメガネの位置を指で直しながら、話を続けた。
「あっちには航空《フライト》シミュレータもあるみたいだけど、ずいぶんと並ばされそうだし……」
 クリフはカバンから愛用のノートパソコンを取り出し、カチャカチャと操作をはじめた。
 学校でも、いつもこの通信端末を肌身離さず携帯している彼だったが、まさかこんなところにまで持ってきていたのかと、バーニィは思わず感心してしまった。
 聞くところによるとクリフは、今すぐにでも一流大学の入学試験に楽々合格できるほどの、ずばぬけて天才的な頭脳の持ち主であるらしい。医師である彼の両親や、学校の先生たちからは盛んに飛び級を勧められているのだが、どうやらクリフは頑《かたく》なにそれを拒んでいるということだ。
「俺は、あんまり人の多いとこはイヤだな……」
「そうだね、ハンス」
 クラスの中にはあまり友達がいないクリフだが、昔からハンスとだけは仲がいいようである。精神年齢が高いクリフにとって、ハンスは気兼ねなく話ができる貴重な存在なのだ。
 また、クリフはコンピュータマニアであり、無類の軍事《ミリタリー》フリークでもあった。そんな彼にしてみれば、このタマスの海軍基地などは特筆すべき見所《トピック》のない、ごくありきたりの観光スポットに過ぎなかったのだろう。
 もっともクリフならずとも、流行《はやり》のテーマパークとはほど遠いこの社会科見学に、中学生たちは少々飽きはじめていた。
「じゃ、これからどうすんの、みんな?」
 大きく伸びをしながら、アニスは問いかけた。その声に、エミリアが応える。
「とりあえず、表に出ましょ」
 とくに目的地も決めぬまま、彼らはメインロビーに向かって歩き出していた。


「あ……」
 しばらくするとバーニィは、向こうの方からやってくるひとりの少女に気がついた。彼女は、白衣を着た数人の大人に、周囲を守られるようにして歩いていた。
 背は低く華奢な体格で、年齢はおそらく自分よりもひとつかふたつほど下だろう。白と薄緑色のツートンカラーという、他では目にしたことのないデザインのワンピースをまとっている。そして胸には、中心に赤い宝石をはめ込んだ、円形のブローチをつけていた。
 だが、もっともバーニィの目を引いたのは、腰まで届くほど長くてつややかな黒髪と、骨灰磁器《ボーンチャイナ》を思わせる乳白色の肌。そして驚くくらいに透き通った碧眼だった。その身体的特徴から、彼女がアジア系の出自であることは彼にも容易に想像がついた。
(はあ……。なんだかまるで、ビスク・ドールがそのまんま歩いてるみたいだ……)
 バーニィはそこに立ち止まったまま、その神秘的で端整な顔立ちをながめ続けていた。だがその少女は、彼といちども目を合わせることなく、まっすぐ前を向いたまま、ゆっくりとすぐそばを通り過ぎていった。
「バーニィーっ! もお、何してるのぉ!」
 アニスが自分を呼ぶ声に、バーニィは白昼夢から覚めたようにハッと我に返った。いつの間にか、アニスたちは自分をおいて数十メートル先まで進んでいた。バーニィはいちどだけ後ろを振り向くと、仲間たちのもとへと駆けていった。
 そのときバーニィは、少女の周りにいた白衣の大人たちの中で、ひときわ背の高い長髪の男が、凍りつくような視線で自分を見つめ返したような気がした。


「……ごめんごめん」
 バーニィは、ようやくみんなに追いついた。
「きれいな子だったわね」
「そうかい?」
 そう言ってほほえむエミリアに、バーニィはとぼけて答えた。
「なに? あんた、女の子に見とれてたの?」
「違うよ。なんだか変わった集《ひと》団《たち》だと思ってさ」
 アニスの言葉に、思わず反論するバーニィ。
「そう言えば、白衣なんか着て、どこか目つきの悪いやつらだったな」
「確かに、軍の関係者にしては、ちょっと場違いな感じだったかもね」
 ハンスやクリフも、あの男たちの放つどこか異様な雰囲気を感じ取っていたようだ。
 そんな会話を続けているとき、ひときわ大きなクラクションの音とともに一台の巨大な黒塗りのリムジンが彼らの目の前に停まった。すると後部座席のウインドウが滑らかに開き、ひとりの少年が顔をのぞかせた。
「よう、やっと見つけたぜ、エミリア」
「ジオ?」
 車に乗っていたのは、やはりバーニィたちと同じクラスの生徒である、【ジオ・カートライト・ジュニア】だった。彼は、今日がれっきとした学校行事の社会科見学の日であるにもかかわらず、勝手に自家用車を呼び寄せていたらしい。
 みんなからは本名の「ジョージ」ではなく、短く「ジオ」と呼ばれているこの少年は、かけていたサングラスを親指で額の上にずらすと、周りにいるクラスメイトたちのことなどまるで目に入っていないかのように、エミリアにだけ話しかけた。
「イイもの見せてやるからさ、ちょっと俺に付き合わないか?」
「あら、いいものって?」
 エミリアは、いつものように柔らかなトーンで聞き返す。ジオはエミリアの耳に顔を近づけると、片手を添えてささやいた。
「親父《オヤジ》の知り合いの軍の人がさ、特別に最新鋭の潜水艦を見せてくれるんだって」
 その言葉を聞いて、そばにいたバーニィとアニスが敏感に反応した。
「えっ、潜水艦って本当に?」
「ウソぉ、あたしも見たい見たい見たぁーい!」
 いきなり割り込んできたふたりの勢いに、少したじろいでしまうジオ。
「ちょ、ちょっと待てよお前ら。俺はエミリアと……」
「カートライト、最新鋭の潜水艦って、いったいどんな?」
 クリフがいつになく興味を引かれた調子で、そう問いかけてきた。親友のハンス以外は、たとえ同級生《クラスメイト》でも、ファミリーネームで呼ぶのがクリフの流儀《スタイル》であるらしい。
「ああ。バリバリの新型さ。まだ一般人には、いっさい公開されていないヤツなんだぜ」
 ジオは、得意げにそう返した。
 彼は、この街ではその名を知らぬもののない、資産家の御曹司である。コーラルシティーきっての大企業、カートライト・インダストリーを統べるジオの父親は、昨年には上院議員にも当選するなど、この街の富と名誉と権力をほしいままにしていた。
 そんな押しも押されもせぬVIPの長男《ジュニア》である彼なら、アメルリア海軍の極秘艦のお披露目にいち早く招待されるということも、ありえない話ではない。
「だからさ、エミリア。俺と……」
「素敵ね。それじゃあ、お言葉に甘えて、みんなで見せてもらいましょうか」
「え? イヤ……」
 エミリアの言葉に、言葉を失うジオ。
「決まりね。じゃあ、男の子たちは後ろに座って。あたしとエミリアは前ね。ハイハイ、詰めて詰めてー」
 アニスはそう言うと、仲間たちを手際よく車に乗り込ませていった。
「うわあ、すごく大きい車だね。僕、リムジンってはじめてだ」
「荷物は後ろに置いといたほうがいいよな?」
「うん、こっちの方が空いてるよ」
「じゃ運転手《ショーファー》さん、よろしくお願いしまーす」
「聞けよ!」
 お目当てのエミリアと、ふたりきりでデートする当てが外れてしまい、ジオはイラついたように叫んだ。
「ありがとう、ジオ。私たち、ちょっと退屈してたの。誘ってくれてとてもうれしいわ」
「えっ……。あ、ああ」
 屈託のない笑顔で、エミリアにこう言われてしまっては、ジオは結局のところ苦笑いを浮かべるしかなかった。
 だがそのときジオは、先ほどから自分たちを見つめている視線に気がついた。
「ん……?」
 彼は、そちらの方に向かって大声で叫んだ。
「おい、ちょっと待てよ、フリッツ!」
 自分を呼ぶ声を聞いて、【フリッツ・エイモス】はあわてて目をそらせたが、ジオはその姿を見逃さなかった。すばやく駆け寄ったジオは、そのぽっちゃりとした少年を車のそばまで引き連れてきた。
「お前、さっきからナニ見てんだよ」
「ぼ、僕はなっ、なな何も……」
 肉付きのよい背中を丸めるようにして、フリッツは小さな声で吃音《きつおん》気味に答えた。
「まさか、俺たちのことだれかにチクるつもりじゃねえだろうな」
 ジオはフリッツの肩に手を回すと、鋭い瞳でにらみつける。フリッツは何も答えず、ぎゅっと目をつぶったままブンブンとかぶりを振った。
 大柄で、顔にそばかすの目立つフリッツは、ビデオゲームや読書などのインドア趣味を好む、おとなしい少年だった。内向的で臆病な性格の彼は、昨年秋の新学期に同じクラスになったときから、さっそくジオに目を付けられていた。クラスのリーダー格であるジオに対して、つねにフリッツは言いなりだった。
 ジオは、日頃から柔道のトレーニングで鍛えている腕に力を込めてこう言った。
「よおし! じゃあ今日は特別に、お前も連れてってやるよ、な?」
「い、いいよ別に……」
 しかしフリッツにとって、彼の誘いを断るという選択肢はなかった。ちなみにジオは、今年の春に開催された柔道の地区トーナメントにおいて、初出場ながら優勝してしまうほどの実力の持ち主である。
「いいからとっとと乗れよ。後ろだ」
 ジオはフリッツの背中をたたいた。フリッツは、車の中にいたバーニィたちの顔を見ると、いっそう小さくうつむいて、申し訳なさそうにシートの端に腰を下ろした。
「あ、あの……。ご、ごめん……」
 そう言うとフリッツは、車の中にエミリアがいることに気がついた。エミリアはいつものように優しく微笑んだが、フリッツは真っ赤になってうつむいてしまった。
 そのリムジンは、彼ら七人の少年少女が全員乗り込んでも、十分な余裕があるほどの大きさがあった。
「出してくれ」
 最後に座席に乗り込んだジオが|運転手《ショーファー》にそう言うと、その車は潜水艦整備ドックへ向けて、滑るように走りはじめた。


 その頃、先ほどバーニィが出会った少女を連れた一行は、タマス基地内の施設にある会議室で、とある政府機関の研究員と面会を果たしていた。研究員は、満面の笑みを持って訪問者たちを出迎えた。
「ようこそいらっしゃいました、スペンサー博士。お会いできて光栄です。長い道中で、さぞお疲れでしょう」
 白衣を着た長身の男性、ジェローム・スペンサー博士は前髪を少しかき上げると、ほほえみながらあいさつを返した。
「こちらこそ。みなさんのお力添えをいただきまして、大変快適な旅行でしたよ」
 スペンサー博士は、年齢はまだ三十歳台と思われるが、メガネの奥の目つきの鋭さが印象的な男性である。
「ところで博士、彼女が、その……」
 研究員は傍らの少女を見ると、期待を込めてスペンサー博士に問いかけた。
「ええ。我々にとって、絶好の研究対象ですよ。マノン、ごあいさつを」
「……」
 マノンと呼ばれたこの少女は、とくに表情も変えず無言で頭を下げた。
「と、とにかくご無事で何よりでした。……あ、そうだ。何か、冷たいものでもいかがですか?」
 ハンカチで汗を拭きながら、研究員があわただしくこう言うと、スペンサー博士はかぶりを振って答えた。
「いや、私もあまり時間を無駄にしたくない。すぐにでもはじめてください」
「そ、それではさっそく、どうぞこちらに……」
 研究員はマノンをつれて、会議室のドアを開けた。彼女は振り向いて、スペンサー博士の方を見た。
「みなさんの言うことをよくお聞き、マノン」
「はい……」
 小さくそう答えたあと、彼女が部屋を出て行くのをスペンサー博士は見送っていた。
「|成功を祈るよ《グッドラック》、『|実験体D《エクスペリメント・ディー》』」
 博士は、小さな声でそうつぶやいた。


「この基地で新型の潜水艦が見られるなんて、本当にラッキーだよ!」
 リムジンの中で、バーニィは興奮気味に言った。
「そういえば、バーニィのお父さんって海軍の軍人さんなのよね」
 エミリアが振り向いて話しかけた。
「|潜水艦乗り《サブマリナー》なんだろ?」
 そうハンスが続ける。
「そっ、艦《かん》長《ちょう》さんなんだよ♪」
 さらに、アニスが付け加えた。
「……だった、だろ?」
 ジオのそのひと言で、車の中の楽しい雰囲気が一瞬で凍りつく。
「確か、作戦中に沈没したって……」
「ちょっと、やめなよジオ!」
 アニスが、ムキになって声を荒げる。
「……二年前、グレゴリー・キャプリス艦長以下、百三十一名の搭乗するアメルリア海軍第七艦隊所属、フランカー級攻撃型原子力潜水艦『ウラヌス』は、クルス半島沖を航行中に連絡を絶ち、そのまま行方不明となった——」
 クリフは、手元のノートパソコンの画面をのぞき込みながら、ニュースサイトの記事《ログ》を冷静に読み上げていく。
「——いまだその船体は発見されておらず、乗組員《クルー》全員の安否も不明」
「だから?」
 記事《ログ》を読み終えたクリフの顔を鋭い目つきでにらみ返しながら、ジオが不機嫌そうに言う。
「……生きてるよ」
 窓の外を見たまま、バーニィがつぶやいた。リムジンの中の子どもたちの視線が、いっせいに彼に集まる。
「僕は、そう信じてる。今でも」
「バーニィ……」
 そんな彼を、複雑な表情で見つめるアニス。
 チッ、と舌打ちをすると、ジオはそのまま腕組みをして黙ってしまった。
「到着いたしました」
 そのとき運転手《ショーファー》が、短くそう告げた。



続く