第21話

「自殺を食い止めると、現実世界で何かいいことがあるんですか?」
 帰りの準備をしている荒川さんに私は訊いてみる事にした。荒川さんはバッグに荷物を入れる手を止めて私の方へと向き直した。
「地球保存サービスは、一種のパラレルワールドなんです。そして、大葉さんが住んでいる現実世界もそのパラレルワールドの一種に過ぎません」
「どういうことですか?」
「これはHF社にしか通達されていない事なんですが、五年前に現実世界はデジタル化しました」
「え?」
 私は思わず驚きの声を上げてしまった。という事は私が住んでいる場所もバックアップと同じでデータという事になる。一体それはどういう事なのか。
「勿論、生命の誕生などはデジタル化出来ません。しかし、人類が生活を行うあらゆる事象をデジタル化し、常にパラレルワールドとして平行世界が地球保存サービス上で走っているのです」
「つまりは、現実世界を模したデジタルワールドが常に隣に居るって事ですか?」
 私が訊くと荒川さんはニコッと笑って、「その通りです」と言った。
「そして、その平行世界にはバージョンが付けられています。ほら、良くスマホアプリでもバージョン何点何と付けられているでしょう? それと同じように、地球保存サービス上に存在している何通りにも分岐した平行世界にはバージョンが付けられています」
 私は荒川さんが言わんとする事が分かった気がした。
「つまり、私は桜野美香が死ななかったバージョンのデジタルワールドを生成するために生きているっていう事ですか?」
「察する能力が高いですね。──その通りです。そして、最終的には現実世界とマージさせます」
「マージ?」
「これは失礼。エンジニア用語でして、デジタルワールドと現実世界を合併させて、現実世界の事象を書き換える行為の事です。大葉さんが、桜野さんが死ななかったパラレルワールドを生成してくれたら、私がマージを掛けるという算段です。そうすると、桜野さんが生き返るというか、最初から死ななかったことになります」
「凄すぎます……。でも、この技術って悪用されたら意図的に特定の人物を消したり、蘇らせたりできるって事ですよね?」
「だから、HF社はこの事を公にしていないんです。悪意のある人間にこの技術が知れ渡ったら、世の中は大変な事になりますから」
 荒川さんはさらっと恐ろしい事を言った気がした。この技術の絶大な力は絶対に悪用されてはならない。それを踏まえた上で桜野美香を蘇らせる意味はあるのだろうか。
「では、何故桜野美香を蘇らせることになったんですか?」
 私は核心をついた質問を投げかけた。そもそも、いち一般市民である桜野美香を蘇らせる必要性が何故あるのか。これは何か重大な力が働いたに違いないからだ。荒川さんははっとした表情をしたがすぐにニコッと笑って話し始めた。
「それは、上層部のみが知る所でして、私は知らないんです。単純に、上からの命令で今回は桜野美香の死亡回避案件が回ってきたので、それを処理している形になります」
「流石は鉄壁のHF社ですね……」
「そうなりますね」
「──すみません、足止めさせてしまって」
「いえいえ。それでは、私は帰りますね」
 荒川さんは立ち上がると、部屋の扉を開けて帰っていった。私は凄まじい力を持った技術を使って仕事をこなしていると思うと、改めて緊張感に襲われた。上層部が生き返らせたい高校生なんて、ただの一般人ではないと思った。