第1話 早朝の目覚め

「…………あっつい」
 真夏の太陽がラウンド村という陳腐な農村にある、老朽化した木造二階建ての家を照らす。その家の二階で寝ていた、あたしの部屋の中にまで照らしつけてくる。焼け付くような日差しを顔に浴びて、強制的に覚醒させられる。
 あたしは顔をしかめて、額に走る汗を手の甲で拭う。のろのろと上体を起こし、あれ? カーテン、閉めてなかったかなと思いながら手を振り上げる。ぐ~っと背中を反らす伸びをして、ふうっと軽いため息をつく。農業の手伝いを始めた頃は、毎日のように体がバキバキだったな~。
 そんなことを思っていると、ハッとなる。
「……まさか、日焼けしてないよね?」
 あたしは日が当たり、顔の右半分だけ熱を持っていた頬を手でピタッと触り、労るように撫でた。うん、もち肌だね……じゃなかった。慌てて、買ってからすぐに落とし、自由を求め這い出しているバネが印象的になってしまった、アナログ時計へ目を向ける。よかった、まだ朝早いから大丈夫か……安心した。とはいえ、二度寝ができるような時間でもないから、もう起きないとね。
 そう自分に言い聞かせ、掛け布団代わりのシンプルなタオルケットをのけて、足をベッドの下へ投げ出す。鎖骨の辺りまで伸びている赤茶けた髪が、離れまいと肌へ張り付き、予想以上に汗をかいていたことを実感する。
 さ~てと、うがいでもして顔を洗おうかな。重い腰をよいしょっと、年寄り臭く上げる。すると、同じタイミングで部屋のドアが、軋む音を立ててゆっくりと開いていく。

 そして現れたのは、あたしと同じ髪型と髪色に透き通った青い瞳、ふっくらとした健康的で真ん丸な顔の女の子。着ている水色のパジャマの丈が長すぎるためか、裾で両手は隠れ、両足にいたっては踏んずけてしまっている。
 このあたし、|日ノ良《ひのよい》カンミの妹、日ノ良トルミだ。見た目は十歳ぐらいだけど、あたしの五つ下の十三歳で、本人は幼く見えることを気にしている。
「おはよう、お姉ちゃん……やっと起きたんだね……」
 トルミはあきれた顔と半目で、恨めしそうに声を絞り出す。
「え? いつもとおんなじ時間だよね?」
 あたしはキョトンとしてベットに座りなおし、挨拶を返すのも忘れて質問をした。むしろいつもより、少し早い時間なのにと思いながら。
「やっぱり、夜中に地震があったの知らないんだ。結構揺れたよ? あと強い風も吹いたし」
 地震? 風? 熟睡してたから全く心当たりがない。でも強風が吹いたのなら、カーテンが全開になってたのも納得がいく。
「私は大丈夫だったんだけど、お姉ちゃんが心配になって見に来たら、グースカ寝てたんだよね」
 トルミは腕を組み、小さい背で見下ろそうとしてくるけど、ベットに座っているあたしと目線は変わらない。でも、突き刺さる視線が痛い。
「それなら、来たついでに起こしてくれたらよかったのに……」
 地震があったら、あたしだって妹のことが心配になるよ。まぁ、気付けって話なんだけど。
「あ~こりゃ、家が潰れても起きないわ、と思ってほっといたよ。どうせ起こしても役に立たないし」
 妹に面と向かって役に立たないと言われると、姉としてはかなり傷付くね。そんな心情を悟られまいと、あたしは口を開く。
「まぁ、お互い怪我が無くて良かったよ。うん、良かった。それにしても、この村で地震なんて珍しいね」
「あれが原因じゃないの?」
 トルミが横着に顎で窓を指す。もう、ちゃんと手を使いなよと思いつつも、目を向けると。
「うわ! なにあれ? 城!?」

 昨日までの窓からの眺めは、多種多様な畑や水田が辺り一面に広がり、その奥には山々が連なり稜線が雲に隠れるまで続いているという、平凡だけど心が落ち着く景色だった。
 しかし、一夜で一変していた。村と山の間に、高さ十メートルほどの真っ白な城壁があり、四隅には同じく真っ白な塔がそびえ立っている。その城壁に囲まれた中には、ひときわ大きい台形状の城が何食わぬ顔で居座り、頂上にはまさに豪華絢爛といった巨大な王冠が被せてある。土台部分は質素ながらも神聖な城といった感じを醸し出しているが、頂上に品がない。
 城かな? それとも宮殿なのかな? 城壁があるから城でいいよね。いや、そんなことよりも気になることが……。
「村に……隣接してる?」
 この城、近い、近すぎるよ。村を出て十歩も歩かずに、城壁にあるインターホンを押せるよあれ。もうちょっと遠慮してよ。そもそも、城壁にインターホンってあるの? あるとしたら来客のとき、毎回ピンポーンという場にそぐわない無機質で質素な音が城内に響き渡り、お手伝いさんが城門へ我先にと殺到するのかな。ピンポンダッシュなんかされたら過労死するよ。その場合、労災が――。
「ふあぁ~あ、私あまり寝られなかった。また寝るから、朝ごはんは適当に食べといて。冷蔵庫にあるやつ」
 あたしがしょうもないことに思考を巡らせていると、トルミは目をこすりながらあくびをして、最後まで言い切る前に踵を返す。が、またすぐに踵を返した。つまりその場で綺麗にくるっと一回転をした。どうしたんだろ? 寝不足で妹が壊れた? ……そうか! 姉と添い寝がしたいのか!
「大事なこと言うの忘れてた。村長、が話したいことがあるから、午前中に来いってさ」
 恐らく早朝に電話で叩き起こされたんだろう。トルミの『村長』の言い方は、怒気を帯びていた。
「村長が? 何の用事だろう?」
「さぁね。そこまで聞いてない。……それじゃあ、ちゃんと伝えたからね」
 もう私はお役御免といった感じで、トルミが帰ろうとする。……あれ? 添い寝は?
「あっ、待ってトルミ! 恥ずかしがらなくてもいいから」とトルミを引き留める。
 そして、両手を目一杯広げ、満面の笑みを浮かべて優しく迎える準備をする。
「ほら、おいで。無理せず素直に甘えてもいいんだよ。あたしは全然かまわないからさ。ねっ!」
 ああ、なんてあたしは妹思いの姉なんだろうか。最後の、『ねっ!』の部分ではウインクまで決めてやった。自己陶酔がすぎるかもしれないけど、これでトルミは感極まって、あたしの胸にダイブして来るに違いない。
「……こんな朝から熱中症? カーテンぐらい閉めて寝たら?」
 トルミは怪訝な顔をした後、奇怪なものを見るような目で吐き捨てるように言い、部屋を出ていく。開けっ放しにされたドアの向こうから、階段を降りる、トタッ、トタタッ、トタ、という足音のリズムが危なっかしい。
 一方、妹から奇怪人間扱いされたあたしは両手を広げ、満面の笑みのままで停止していた。せめて一回だけでも抱きしめたかった……。一階から聞こえるドアを閉める音で、我に返り真顔になる。窓の外から聞こえる小鳥の鳴き声が、穴の開いた心に沁み込んでくる。
 さっさと村長に会ってこようかな。心が折れないように自分に気合を入れて、飛び上がるような勢いでベットから立ち上がる。すると、全身の力が急に抜ける。ああ、これ、立ちくらみだ……。視界が急激に傾いていくが、何もできず直立したまま横にぶっ倒れた。肩を強打しただけで、頭を打つのは免れたが、タンスでも倒れたかのような打撃音が発生した。当然、それは一階にいるトルミにも聞こえるわけで――。
「ドタバタするなっ!」
 トルミの怒号に恐れおののき、謝罪の言葉を口にしようとした。が、それすらも怒られそうなので、立ちくらみで引いた血の気をさらに引かせ、ごめん本当にわざとじゃないから、と心の中で謝った。
 
 あたしは、食パンと牛乳という軽い朝食と身支度をして、ポニーテールに結んだ髪を微かに揺らし、そそくさと家を出た。外に出ると熱気が襲い掛かってくる。今日も暑くなるな~、どうせなら電話で要件を言ってくれればいいのに。夏の太陽の元気さと村長の回りくどいやり方に、辟易しながらも歩き始めた。