第1筆 画家は異世界へと舞台を移し始める

旧西暦(新東暦13年)2063年、1月。
惑星間航行が当たり前になり、AI技術の発達により|アバター《意識転送》技術も発達した。
己の肉体を捨て、データ上の世界で生きることも選択肢に上げれるようになっていったんだ。

科学分野も今までファンタジー扱いされていた転生、異世界渡航や魔法への研究を本格化。
数多の異世界ファンタジー作品を送り出した日本が中心となり、10年の歳月をかけて実在を公表した。
あれには俺も驚いてもう夢なんて言わせるものかと思ったものだ。
現実となった為に人々の関心と期待は異世界へと寄せられた。

異世界人との交流、魔法のエネルギー源である魔素を導入した文明発展を狙いとし、昨年頃から異世界への転送計画が開始。
年十数人ほど世界抽選で選出され、識者や宇宙防衛軍と共に異世界に赴くことは名誉になった。
今や夢であった異世界転移は珍しいことではなく行けたら幸運なものへと変化していく──。

|技術的特異点《シンギュラリティ》などとうに越えちゃった世界で己の肉体を捨て、データ上の世界で生きることも選択肢に上げれるようになった中、画家は不動の職業。
独創性が高過ぎるがゆえ、AIが唯一追い付けない職業だったことが大きい。
そんな中、

「はぁ、今日は駄目だったか……。」

 手袋越しでも凍える手を擦って夕暮れの中、一人の男が愚痴をこぼしている。
 そんな俺、|東郷雅臣《とうごうまさおみ》は自称、新進気鋭の画家である。
 まだまだ煌めく22歳だ。キラッ。
 フッ、こー見えて腹筋バキバキだし、サラサラの赤髪で、まぁまぁモテるもんね!
え、彼女はって? いや、その──。
 へっくしゅん! うぅ、寒い寒い。
 ……まったく、誰にやってんだ、これ。
 腹を見せてこんなことしている場合じゃない。
 あのな、こっちは緊急事態じゃあごるぁぁ!

「絵が一枚も売れなかったっあぁぁぁーー!!」
「「「……カァ、カァカァーー!」」」

 おうおう、慰めてくれるかい、カラスきゅん?
 本当に慰めてくれるかと思ったが、そんなこともなく、桃色に輝く夕焼けへと消えていった。
 あれ? さっきの三匹のカラス、|八咫烏《やたがらす》だったけど、気のせいか。
八咫烏が登場する異世界に人類は行ってないんだぞ。きっと疲労が溜まって幻覚が見えたに違いない。
 原因考えながら帰ろ。

 展示した絵を片付けながら改めて原因を考える。
普段対等なAIに教える立場にある。画家は尊敬される職業であることに間違いはない。
今回は手描きの絵を多く展示。手描き作家が少数派になったが故に高評価・高値で売れるのでコレクターも多い。

 ──やっぱり立地条件が大きいだろうか。ここは丘の上にある貸し画廊で駐車場もない。
 老舗のものより、最新のSNSも使ってみたが中々難しい。
 早速|ホログラムフォン《次世代型スマホ》で調べてみたらあまりおすすめの売り方ではないようだ。

「やっちまったなぁ。」

 思わず後悔の言葉が漏れる。
 昔から安定したツールであるブログはただの集客装置に過ぎず、役に立つ知識を記事にして「この人の記事は勉強になる」と知名度が上がってきた所で自分の絵を出す。
 このときは売らない。ちらっと見せるだけのようだ。
 それから更に知名度が上がってきた時(早い人はブログ開設から半年で)、販売に乗りだし、出展、ブログは有料ブログで誰かがアクセスするだけで収入が手に入る。

 不労収入というやつである。

 これだけで30万以上稼げるようになってきて、展覧会は個展よりもグループ展や企業の公募展が良いらしい。
 大手の公募展は審査員の弟子ばかりが蔓延っており、その弟子がお布施をすることによって賞を獲得し、独占する。
 部外者は蚊帳の外で蹴落とされ、先日見たニュースで審査員が|八百長《やおちょう》で捕まっていた。

 はぁ、日本の画家って難しい。生き辛すぎる。

 とある外国では売れない画家は国が生活援助をしてくれるんだぞ。異世界研究ばかりしてないで日本も見習ってくれよ。
 って愚痴ってもしょうがないか……。

「せんせー、どうしたの?」

 がっかりしていると一人の女の子が|項垂《うなだ》れる俺を見て慰めてくれた。
 良く見ると、僕が主宰するこども絵画教室の生徒の|凜花《りんか》ちゃんだった。

「あぁ、絵が売れなくてね……。」

 これを聞いた彼女は笑顔でランドセルから薔薇型の財布を取り出して五百円玉を差し出した。

「これで買えそうなら一枚くださいっ!」

 子ども好きな俺はその笑顔にやられて、普段は五千円で販売しているサムホールサイズの薔薇の絵を渡した。勿論、薔薇が好きな彼女の為だ。

「せんせーありがとうっ!今度のじゅぎょーも楽しみにしておくね!」

 満面の笑みを浮かべる凜花ちゃんがぶんぶんと手を振っているのを見送る。
 最後に片付けるべきだった薔薇の絵は売れちゃったし、安全運転で帰りましょー。

 丘から下り、桃色から変化してグリーンフラッシュが起こる夕焼けを眺めながら長い下り坂を下った後、信号停車していると……数百m先の交差点でいかにも怪しい黒いハイエースワゴンとアクセルとブレーキを踏み間違えたような暴走する高齢者ドライバーが。

 しかも両台とも凜花ちゃんに向かって突っ込んできているのを──!

 おいおい、マジかよ!?

 片方はドアを開けて誘拐する気満々で、高齢者ドライバーは止まるどころかさらにスピードを上げている。

 最悪じゃないか!!

 どうするよ、これ。
 大切な教え子が拐われるのは勘弁だし、|轢《ひ》かれてしまうのも後味が悪い。
 ──俺が死ぬのも嫌だが、中途半端な正義感が彼女を助けろと騒ぐ。

 ……くっ。仕方ねぇ。
 俺はオトコだ。女子ども一人守れねぇクズへと成り下がるつもりはぁねぇ!!

「行くぞ! ウゥゥオォオオーーーーー!!!」

 咄嗟、今までの中で最も早いギアチェンジを行い、自動運転へと設定変更した後、愛車を降り、急発進をして、両台に凄まじい勢いで突撃してハイエース型の|浮遊車《リニアカー》へと突っ込んでいくのを確認しながら、凜花ちゃんの元へ疾走した。
反社会的勢力への攻撃は法律で正当防衛とされている。全く問題ない。

 しかし、潰れたハイエースから出てきた血塗れな強面男が頭を抑え、足を引き摺りながら歩み寄る!
その手には銃を構えている!

「くぅっ! キ、貴様ぁぁ!!」
「凛花ちゃん逃げろッ!!」

 |我《われ》が王と言わんばかりの重い鉛の咆哮が鳴り響いた。

「グッ、グワァァァァァァァァァ!!?」

 その威力は高く、一撃にして俺は倒れ伏した。
凶弾の音で我に返った高齢者ドライバーが急ブレーキをかけて巻き込まずに何とか止まり、赤ら顔の老人が駆け付ける。

「おいッ、あんちゃん大丈夫か!? すまねぇ、すまねぇ!あぁぁ、きゅ、救急車ッ!!」

 見事に穿たれた左胸は留めなく赤黒い血を流し、意識が朦朧としていく。
 薄れ行く意識の中、俺はやっとの思いで呟いた。

「あぁ、俺は死んでしまうのか……。」
「せんせー! せんせー! 死なないで!」

血塗れになった俺の身体をもろともせず、凛花ちゃんは滂沱の涙を流して身体を揺すった。

「ハハッ。大丈夫、凛花ちゃん。少し眠るだけだから。また会おうね。」
「うぇ、う、うわぁぁぁぁぁぁんんん!!せ、せ、 せんせぇぇぇぇぇ!!」

人生最後の言葉は愛しき絵画教室の生徒に向けて送ったものだった。

直後、糸のような何かがぷつりと事切れる音がした。

 ……へぇ、これが死の間近というやつか?
 真っ暗で何も見えなくて怪我をした部分が絶え間ない痛みを生じ、それを抑えようと傷口から溢れているんじゃないかと思うくらいの快楽物質たち。
 音が聞こえないはずなのにドバドバ聞こえてきてこいつのせいで幸福感に満たされ始めた。

 そして、寒い。

 命を失ってたまるかと己が心臓は足掻き、早鐘を打って体温を上げようとするが、更に出血量は増すばかり。
 一月中旬の激しい外気からの寒さだけではなく、内側からも寒気が止まらない。
 だが、身体が動かない為、|摩《さす》ることすらままならない。

 うっ、うぅ……。
 涙が止まらない。まだやりたいことが残っているのに。もっと絵を描きたい。子どもたちの笑顔がまた見たい。一生愛せる女性と出逢って共に人生を歩みたかった。

 あぁ、どうかこの声が届かないかもしれないけど、俺は涙を流しながら叫ぶ。


 死にたくない。俺は生きたいッ──!!



「その慟哭、その願う声、しかと聞いたわ。キミは死なない。そんなものに負けずに目を覚ましてっ! 」

 突如、透明感を感じる声がエコーのように頭の中に響いた。どこか懐かしさを覚えるが俺の知る人物の声ではない幻聴が聞こえる。

「幻聴じゃないって! キミなら大丈夫っ!」

 この慟哭が届いたのか?
 もう痛みで辛すぎて開きたくないが、この人の声は不思議な力があるのだろうか?
 その声援に強く押され、本能的に目を覚まさないといけないと感じた。

 もう、何でも良い。奇跡(天使)でも悪夢(悪魔)でも良い。
 俺に希望を与えてくれるのなら、何にでも縋ってやる!

「そうよ、それでこそキミだよ! 今ここに未来は拓かれたッ!」

 この言葉を皮切りに岩がのし掛かったかのように重かった瞼が軽くなり、もう一度開いた瞬間、周りに見えるのは事故を起こした道路ではなく、水色や黄緑色、黄色、オレンジ、薄紫が淡く混じり合う空間でかなり水っぽい水彩絵の具をぐちゃぐちゃに混ぜたようだ。

 この景色を見た瞬間、不思議な事に体の傷、痛みがひいていき、地面に|磔《はりつけ》にされたと言っても過言ではない体の重みが綺麗さっぱりと消え風船の体になったのかと錯覚するほど軽く感じる。
 まさか、体がないとかじゃないよね。
 この顛末に正直頭が追い付いていない。

 空を見ればまばらに裂けた空間の歪みのような所から宇宙の星々が見えた。
 俺は宇宙をさ迷っているのか?
 某海外の大学の研究で臨死中は快楽物質の影響で宇宙にいるような感覚を味わうと言っていたしな。

 足元も同じような状態で浮いているのかガラスのような所に立っているのが気味の悪さを覚えた。
 スカイツリーとかの透明ガラス床が苦手な俺は脚がすくんだ。足元がふわふわする。
 ふと、足元を覗く。
 えーっと、脚がないね……。
 ッ? 体がないっ!?
 ちょいちょいちょいっ! どういうことだよ、これっ!?
 体がないことに気付いた途端、やっとバレましたかと言わんばかりにその場しのぎに星の光が天から集まり始めた──!
 この星彩がより集まっていくにつれ身体が形作られていく。

「なんじゃこりゃゃゃあぁああぁぁぁぁぁ!!!」

 俺がパニックになっているのを気にせずに前方辺りから聞こえてくるコンッ、コンッと地面を踏み込む靴の音。
 はっ、と我に返り、先ほど絶叫したことを恥じて誰だろうかと目の前を向いた所、歩く度にピンヒールから円状の波紋を広げ現れたのはかなりの美貌で宇宙の柄がプリントされたドレスを着た女性がいた。
 20代程の見た目である。
 ただの美しい女性だけではなく、幼女、少女、成人女性へと七変化している異様な光景が広がっている。
 しかもこのワンピース、衣装にプリントされた銀河や星雲の模様が動き続けているのだ。暫く模様を眺めていると今しがた彗星が流れていった。
 一体どうなっているのか?
 身長が縮み、伸び、胸が膨らんでは絶壁になり……彼女が落ち着いた透明感がある声で呟く。

「ふふっ、身体の再生は……順調ね。」

 幾度か変化を繰り返し、最後に引きずるほど髪が長いロリっ娘に変化した。
 身長は110㎝ほど、髪は撫でると色が変わり、大きな瞳は星屑を散りばめたよう。瞬きする程にその星屑の輝きは煌めいている。

 そして俺に向かって先ほどの懐かしさを感じる落ち着いた印象ながらも可愛らしさを感じる声から一転、甘ったるくて幼さを感じる、俗に言われるアニメ声で彼女は俺に話しかけた。

「いらっしゃい、東郷雅臣くん。ずっと、ずっと会いたかったわ。」

 そう言った彼女は突如、柔らかくしなやかな小さき手で俺の両頬を包み口づけを交わした。