1梅目 うどん派

 都会でもなく田舎でもない、どっちつかずの町、メリリー。この町で唯一の学校で、正午と終業を告げるチャイムが校内に響くと、生徒たちは思い思いの喧噪を引き起こし始める。ある生徒は、教室の窓に腰掛けて自分の席ではない机に足を置き、友人との他愛のない雑談に耽っている。また、側頭部に獣耳を生やしたある生徒は、鞄からツナ缶を取り出し鰹節を振りかけて、早めの昼食を楽しんでいる。
 そんな昼前の学校の教室内で、椅子に座り難しい顔をしている小柄な女子生徒がいた。膝上ちょうどのスカート丈から見える、適度に肉がついた健康的な脚が、日に照らされて眩しく光る。必要なくなった教材を、机に掛けた鞄にねじ込んだままの姿勢で考え事をしている。前屈みで肩まで伸びたふっくらとした髪の毛が、暗幕のように垂れ下がって目にかかろうともお構いなしだ。視線を感じた前の席の生徒が振り返り、自分を鬼の形相で睨む、掴みかからんばかりの態勢の女子生徒を見て驚く。
「な、何だよ、|瀧嵐《たきあらし》。オレのせいで黒板が見えないのか?」
「お? いやぁ、今日は何しようか考えてたんだよ。気にしないでくれ、ミソカツ」
 瀧嵐と呼ばれた生徒、瀧嵐|梅子《うめこ》は打って変わって笑顔になり、首を振りながら答えた。そしてまた、親の敵でも見るかのような顔で思案する。あまりの凄みに尻込みしたのか、前の席の生徒はそそくさと帰り支度をして立ち上がる。
「……やっぱり邪魔みたいだし、帰るわ。あと名前ミソカツじゃないから……」
 そう言って逃げるように教室を出て行った。梅子は主の居なくなった椅子を凝視しながら、あいつはミソカツじゃない? 味噌みたいな髪してるくせに……って人の考えを邪魔しやがってこの野郎! と憤怒している。この燃え上がる怒りをどうしてくれようか。暦の上では秋でも暑いというのに、と思っていたところでアイデアを思いつく。
 梅子は席を立つと、早速考えたことを実行するため、教室の後ろにいる幼馴染の下へと歩き出す。これはいい考えだ、あの二人も歓喜するだろうといった、自信にあふれた顔で風を切る。
「どうしたウメ、一緒に帰るか?」
 親しく声をかけてきたのは梅子の幼馴染の一人、|片岩《かたいわ》|正吾《しょうご》。筋肉質な体だが、着痩せするタイプなので細身に見える。中等時代は梅子と共に『とち狂いの梅子』『悪ふざけの正吾』と呼ばれ、ブイブイウメウメ言わせていた。そんな二人も、今はアクが抜けて丸くなっている。
 正吾は机に腰掛けてギシギシと軋ませる。ちなみに正吾の机ではないので、椅子の座っている生徒から、こいつ早くどっか行ってくれないかなという、非難の目を向けられている。
「梅子、やけに嬉しそうですけど、何か良いことでもあったんですか? それと正吾、困ってますから……」
 悲鳴を上げる机の隣の席で『魔女流 桁外れな集中力を身に付ける方法 〈原著第37版〉 ファリア・ナタナ著』という本を、食い入るように読んでいたショートヘアの女子生徒が、梅子に質問をしたついでに正吾を注意する。彼女の名前は|澄流《すみながれ》|雪《ゆき》。大人しい雰囲気を漂わせているが、友人の無礼な行為は見過ごせないみたいだ。幼馴染で親友だというのに、恥ずかしいのかいつも敬語で話してくる、困ったちゃんの地味女とは梅子の談である。そして、中等時代は『ごく普通の雪』と呼ばれ、あだ名もへったくれもない。
 梅子は二人の言葉を聞き流し、目の前まで来て話を切り出す。
「よし、バーベキューするぞ」
「えっ、今からですか? 明日休みだから明日でも――」
「いや、今日じゃなきゃダメだ。やると決めたからにはすぐに実行だ。じゃないと後々、打つ手のない後悔と行き場のないやるせなさが覇権争いをすることになるぞ! なんなんだそれは?」と自ら言ったことに、目を見開き疑問を呈する梅子。
「よく分からんが、思い立ったが吉日という奴か。で、どこでするんだ?」
「いきり立ったら翌日だと? 今日するって言ったじゃねぇかよ」
「まぁまぁ……」
 梅子と正吾の会話が、明後日の方向へと旅立つ前に雪が席を立ち、二人のあいだに入って何とか宥める。勿論、件の男子生徒も挟まっており、もうどうにでもしてくれという風に頭を抱えて天を仰いでいる。
「……えーっと、取り敢えず続きはこっちで」
 雪は、天に助けを乞う生徒に悪いと思ったのか、自分の席に二人を誘導する。梅子は移動の際に「おー、悪かったよ。ほら、梅干しやるから元気出せ」と個別包装された梅干しを二個、例の男子生徒の胸ポケットへと転がり入れた。
「一つ貰うぞ」と正吾は何食わぬ顔で、その梅干しを許可なく取っていく。
「やるんでしたら、場所はどうしますか?」
 大半の生徒が居なくなったが、教室内は未だに活気溢れる商店街のように騒々しく、雪の小さい声はやや聞き取りづらい。
「んー、そうだね。東のあれだよ、一番近い山」
 そう梅子が指差した先には、正吾が突っ立っている。別に彼は山ではない。
「ドライ高山ですね。梅子が差してるのは微妙に違って、北北東ですけど」
「細かいなぁ。方角なんて大体でいいんだよ」
 梅子はめんどくせー奴だなと口を尖らせて、不満を零す。
「バーベキューのためにわざわざ頂上まで登るのか?」と正吾はもっともな疑問を口にする。
「面倒だから、適当に広い場所でやればいいんじゃないの?」
「だったらもう教室でいいだろ?」
「私たちだけで楽しんで、みんなには一切あげないときたか? 悪くないかもなあ?」と梅子は汚らしい笑みをして、ドスの利いた声で言う。
「そんな恨まれそうなことしたくないです。先生に怒られて終わりですよ。それに、なんで疑問文で会話してるんですか」
 雪にご丁寧にツッコミを入れられ、気が済んだようで、梅子と正吾は山の中腹辺りでと意見を合わせる。
「じゃあ、俺はコンロと肉を持っていくから、他の食材は頼んだぞ」
 正吾は自分の役割をさっさと取り決めて、後のことを二人に投げ出す。大方、自分が重い物を持つから、肉は全部俺がいただいてやろうというもくろみに違いないと梅子は察した。
「その手には乗らんぞ? 公平にするために、荷物は全部雪ちゃんに持ってもらうんだ」
「どう考えても不公平なんですけど……」
 雪は、いきなり荷物持ちにされて顔が引きつっている。恐らく、全ての荷物を背負い山を登っている途中で、潰れて拉げている自分を思い浮かべたのだろう。
「冗談言ってたら時間が無くなるか。じゃあ、山の麓に現地集合ということで」と梅子は自分の席に帰りかけるが、振り返って「そうそう、他にも誰か誘ってみるよ」と目当ての人物の下に向かう。
 正吾は雪に目配せをして「肉買いに行くわ」と、それを聞いた雪は「一緒に行きましょうか。私も野菜を買いますから」と鞄を持つ。教室から出るときに、雪は梅子に振り向き、また後でと言うように小さく手を振る。正面に向き直ると、正吾は待つこともなくスタスタと廊下を進んで行っていた。雪は呆れ顔になり、その背中を膝下まで伸ばしたスカートを、はためかせながら追いかけていく。
 
 心なしか、怒気を含んだ足取りが遠ざかっていくのを見送った梅子は、「フッ」と意味ありげな笑いを浮かべるが、特に意味はない。
「あんた、なに人の目の前に来て笑ってるんだわ……」
 女子生徒が、頬杖を突きながら語尾にだわを付けて呟いた。ふわりとしたパーマロング――梅子に言わせると、野暮ったくて五十年は使ってるボッサボサの竹箒ヘア――で、大人っぽさを匂わせている。窓の外をボーッと眺めていたが、梅子が視界の片隅に入ったらしい。横目でジトッと見ている。梅子のクラスメイトで、|自浦《じうら》マリという名前なのだが……。
「だわさん。今日も相変わらず、だわだわしてるね」
 同級生は誰も本名では呼ばずに、梅子のように『だわさん』と呼ぶ。前までは言われる度に、訂正をしていたが、最近は無駄な行為だと悟ったのか、妙なあだ名を受け入れているようだ。むしろ、満更でもなさそうな顔に見える。そのため、これから彼女のことは『だわさん』表記を使用することにする。
「別にだわだわはしてないんだわ。それで何だわ? 私に用があるんだわ?」
 梅子は、めっちゃしてるじゃねぇかと口に出てしまいそうになるが、気を取り直してだわさんを誘うため要件を言う。
「今日バーベキューするんだけど、だわさんめっちゃしてるじゃねぇか?」
 取り直し切れず、混ざってしまった。
「はぁ?」とだわさんは疑問を浮かべた後、「私を誘ってるんだわか……悪いけど今日は家の手伝いがあるから無理だわ」と驚異的な理解力を発揮し、申し訳そうに断りを入れる。
 この言葉を聞いて梅子は不思議に思い、机に手を置き前のめりで詰問する。
「だったら、何で早く帰らずにボケッと空を見てたの? 窓の外に魔女でもいたのかよ」
「あぁー……ただ手伝いメンドイなって思ってただけだわ。はぁ……」
 だわさんの実家は、『骨董品からゴミクズまで、何でもござれ』をモットーにしている、自浦商店という道具屋である。今日は母親から、学校が終わったら棚卸の手伝いをするように頼まれている。しかし、吐き出された溜息からも分かるように、心底嫌で堪らないようだ。
「そうか、じゃあ仕方ないね。他を当たるとするよ」
「うん、また今度誘ってほしいんだわ」
「今度か……分かった。残飯処理で呼ぶから達者でな」
 梅子は、だわさんの肩を労わるように軽く叩いて去っていく。一人残されただわさんの周りに哀愁が漂う。気持ちを切り替えるためか首を振って鞄を手に取り、帰り支度を始めだす。

 梅子は机のあいだを縫うように歩いて行き、次の標的にたどり着く。だわさんには断られたが、あの子なら大丈夫だろうという自信があり、にこやかに誘う。
「ウスミちゃん、バーベキュー一緒にしようぜ」
 声を掛けられて、缶詰に残ったツナを丁寧に箸でつまんでいた、猫耳少女である|冥雫《めいしずく》ウスミが顔を上げる。そして、首を横に振って鰹節の匂いを辺りに振りまく。銀色の髪のあいだから見える、しょげ込んだ表情と垂れた猫耳から、残念さが仄めいていた。
「そうか、無理なのか。もしかして、バーベキュー嫌いだった?」
 梅子は普段友人と話しているときとは違い、僅かばかり声に後輩と接しているような暖かみがある。これは、ウスミがクラスで唯一獣耳を持っているせいか、本人が遠慮してあまり喋らず、同級生にほとんど関わらない生活を送っているのを、気に掛けていることからだ。今回のように、梅子はウスミを遊びに誘ったり、稀に背中にタックルをぶちかましたりして元気付けている。
 ウスミは首を激しく振って、バーベキューは好きだと猛アピールする。おいおい、首がもぎれ飛ぶぞ。梅子は猛烈な首振りによる微風を感じながら心配している。
「ま、急に言っても、用事とかあったら無理か。次はせめて前日に言うようにするよ。それなら大丈夫?」
 ウスミはまたしても首を振る。今度は縦に。机に頭突きを食らわさんばかりの勢いだ。教室の中でヘドバンかよ、負けてられないなぁ。梅子の闘争心に火がついて燃え広がり、漣のように喚き立つ。
「うはははははは」
 腰に手を当て、梅子は笑う。満面の笑みからは、『喜』以外の感情は読み取れないが、内心は対抗してやる気持ちで埋め尽くされているという器用さ。ウスミは、突然のことで呆然としている。手から箸が滑り落ち、スカートに油分と鰹臭が染み込む。
「うっはははははは!」
 梅子は第二段階へと移った。腰から腹へ手を移動させ、背中を反って大笑いしている。もはや、ウスミは視界に入っておらず、天井を仰ぎ馬鹿笑いをする奇人である。そんな危険人物を見て、ウスミは目を丸くして体を縮こませて、身構えてしまう。その拍子に、机の上の物が鞄へと雪崩れ込み、教科書と鰹節のツナ和えが完成した。
「うはーーーーーー!」
 狂ったように梅子は爆笑すると、海老反りになり両手を床に付ける。教室が寂然に満ちて、残っていたクラスメイトが何事かと振り返り、ああ、梅子かと把握して元の喧噪へと舞い戻っていく。奇行を真正面から受けてしまったウスミは、冤罪で死刑宣告をされた囚人の如く、全身は震えて、猫耳は萎れて、揺れる瞳から涙が溢れそうになりながら、ツナ缶の蓋を開ける。どうやら食欲はあるようだ。
「ごめんごめん。そんなに驚くとは思ってなかったよ」と驚かす気満々だった梅子は、心にもないことを言ってウスミの肩を掴み、慰めようとする。だが、ウスミのびくつきは止まらない。傍から見るといじめの現場に見える。ちょうどその横を、帰り支度を終えただわさんが呆れた顔をしながら通っていく。
「私も今、あれだよあれ。なんだったかな。あれが来ちゃってるんだ……」
 梅子は喉元まで来ている言葉を、何とか思い出そうとして目を閉じ腕を組む。
 ――良心の呵責に苛まれるだったかな? いや、全然違うな。料理人が癇癪で作ったシーザーサラダ? 惜しい! あと一歩のはず。超人……男爵……サイレンサー……ああ! そうか。――
「私は今、両親のこんにゃくに追い込まれている」
「……気を付けて?」
「喋った!?」
 授業中以外にほとんど聞くことのないウスミの声に、流石の梅子もぶったまげた。

 しょうがない、今日は三人だけでやるとするかと思った梅子は、ウスミに別れの言葉を言って廊下へと出る。
 板張りに貼られたラインテープは、一部がちぎれて剥がれようと、誰にも気付かれることなく寂しげに身を巻いている。窓を透けて入ってくる日射しは、弱まることを知らない。生徒が疎らになった廊下を熱く照らしてゆく。
「たきあらし~、聞いたぞ、聞いたぞ」
 梅子の後方から、人をイラつかせる甘ったるい男の声が飛んできた。例えるなら、チョコレートミルクとブルーベリージャムの合成物。それを塗りたくったトーストを、背中にぶつけられたというのが最も近いだろう。
 梅子は、激しい嫌悪感が湧き出るのを何とか抑え、無表情で振り向いて声の主を見る。
「まさか、名前も知らない奴に盗聴されていたとはな」
「盗聴なんてするかよ。ちょっと小耳に挟んだだけさ。それに、友達の名前を忘れたのか? |南部屋《なんべや》|雷斗《らいと》だよ」
 男は、自称梅子の友人らしい。制服をだらしなく着崩して、小賢しい探偵がするような丸眼鏡をかけた学生だ。無様に伸ばした長髪も、不快さに拍車をかける。
「鍋焼きラーメンだと?」
「どういう耳してるんだ! な、ん、べ、や、ら、い、とだ!」
 南部屋は鼻から湯気を噴出させながら、わざわざご丁寧に、一音ずつ吠え立てる。通り過ぎる生徒たちが皆、珍妙な顔をしていく。
 廊下の真ん中で大声出してようやるわ。私みたいに誰にも迷惑の掛からない、教室でやるべきだ。場所の問題なのかはさておき、梅子はいっその事、ほっといて帰ってやろうかと胸中に思う。
「まったく……バーベキューやるんだろ? 俺を誘うの忘れてないか? ――あーすまん。これから誘うとこだったか。で、どこでやるんだよ」
「誘うわけないだろ」
 南部屋は、自分は呼ばれて当然だといった感じで、梅子に迫っていたが断られて言葉を失う。
「な、何でだ。理由を教えてくれよ」と南部屋は梅子に縋り付く。
「うどん派なんだよ」
 梅子は吐き捨てるように言い、走り去っていく。あいつにこれ以上、時間を奪われるわけにはいかない。一陣の風に押されるかの如く、南部屋の視界から消えていった。
 一人残された南部屋は、困惑を隠せずに立ち尽くしている。
「瀧嵐はよく分からんな~。ま、いいや。適当に女の子でも引っ掛けて遊ぶとするか……」
 言わなくてもいい独り言を呟き、女を求めてどこぞへと歩いていく。自明のことだが、南部屋はこのあと特に出会いもなく、一人で一日を過ごした。