9話 旅支度

「うおっ!?」
聞きなれぬ音とともに、リオンはベッドから跳ね起きた。頭に響くような甲高い音が枕元に置かれた小さな時計から発されていた。よく見ると時計の裏側には何か押し込めそうな突起があり、それを押すと音は鳴りやんだ。
「朝が来ると音が鳴るようになっていたのか……」
別れ際にエアリアが手渡してきた物だった、リオンはげんなりした様子で時計を枕元に戻した。
とりあえず時計のことは忘れ、リオンは身支度を整える。といってもほとんど着の身着のままやって来たため、身支度自体はあっという間だった。


階下の広間に降りると、そこにはエアリアがすでに待っていた。昨日の鎧姿ではないが、年頃の女性が着るにはいささか不釣り合いな、無骨な装いをしていた。だが彼女には、それが妙に似合っていた。
彼女はリオンを見つけると声をかけてきた。
「おはよう、昨日はゆっくり休めたか?」
「おはようございます、休めましたが昨日借りた時計、あれのことは教えてくれても良かったじゃないですか」
だが、彼女は何を言われているのかよくわかっていないような表情を浮かべている。


「いえ、なんでもありません。 とりあえず出かけましょう、準備があるんでしょう」
「ああ、タイマー機能が分からなかったのか。すまない、現代では普通だったものだから」
エアリアは、得心がいった表情とともにリオンへ頭を下げた。そう、彼女は悪気があったわけではないのだ。この時代の生活では当たり前に存在している機能のことなどいちいち気にかけることなどそうはない。
だが、だからこそリオンにとっては、その認識のズレこそが一番心に堪えることでもあった。世界の『普通』を自分の『普通』として過ごすことのできないことが。
「気にしていません、これから色々覚えますから。さあ、早く行きましょう」
そういった心の痛みを悟られまいとリオンはエアリアを促し宿を後にする。少々戸惑いながらもエアリアも準備が多くあるためかそれ以上は何も言わなかった。


「さてと」
しばし歩いたところで、エアリアが足を止めた。
「まずはこの店だ。リオン、とりあえずは君の衣服を揃えなければならない」
そう言いながら目の前の店へと入っていくエアリア。リオンもそのあとに続き店の門をくぐる。中には様々な服が並び、その内のいくつかは人形に着せて着用例を見せていた。千年前の服屋とは品ぞろえも、その品質も大きく違っていた。かつての服屋だったら目玉が飛び出るような価格の物もかなりの安価で売られていたのだ。
「驚いたな……この千年でこんなに物が良くなっているなんて」
感嘆の声を漏らしながら店内を見回すリオンにエアリアが店主らしき男性とともにやって来た。
「彼の為の旅支度を整えてもらいたい。 金額の上限はないから任せてしまいたいんだが」
「随分古めかしい格好だねぇ、これに合わせりゃいいのかい?」
初老の店主は、エアリアの言葉を受け品定めをするかのようにリオンの恰好を見ながら聞いた。
「いや、普通で構わない。ただ、なるべく目立たないような物にしてくれ」
エアリアの注文に頷きながら店主は店の奥へと進んでいく。
「ああ、分かったよ。やっておくから40分くらいでまた来とくれ」
「うむ」
エアリアは踵を返しながら店主の言葉に答える。
「リオン、私はこれから色々と準備を先に済ませておくから、ここで支度を終えたら待っていてくれ」
「わかりました」
リオンは、街の喧騒の中へと消えていくエアリアを見送り服選びへと戻っていった。


「こんなもんでいいだろう。長旅や激しい戦闘にも充分耐えられる自慢の一品ばかりだでな」
店主にあつらえてもらった旅衣装に身を包み、鏡の前で自分の姿を確認するリオン。質感も、着心地も非常に高価な物であろうことは容易に想像ができる代物であった。
「ありがとうございます。 おいくらでしょうか」
「ああ、代金は国で出るからいらんよ」
そう言って、財布を出そうとしたリオンを店主は制した。
「そうですか……」
財布をしまいながら、ふと視線を横にやると鈍い赤色のロングコートが目に留まった。千年前に身に着けていたローブと同じような色をした物だった。
「そいつが気になるのかい?」
それを見た店主が尋ねる。
「はい、昔に来ていた物とよく似た色の物なので」
「ならそいつは選別でくれてやろう。サイズもあっているようだしな」
店主の言葉にリオンは驚いた。
「そんな!? 受け取れませんよ。これもとても高価そうな物ですし……」
「構わんよ。あ奴が、エアリアがこの国を離れるということはよっぽどのことだ。 それに同行するお前さんもそれだけの期待を掛けられているということだ。 だから、それはその期待変わりだ」
そう言ってにっこりと笑う店主。それを見て、リオンはありがたく受け取ることにした。手にしたロングコートと店主の笑顔に込められた期待とともに。


店を出ると、エアリアはまだ来てはいないようだった。リオンは店の前のベンチに腰掛け、彼女の到着を待った。
しばらくぼんやりと街を行き交う人々を眺めていると、いつの間にか隣に少年が座っていた。
年は15か16ほどに見えるが、濃紺のフードを目深にかぶっていてその顔は伺うことは出来なかった。
その少年は、小声ながら妙にはっきりと耳に残る声色でこう言った。
「久しぶりだね……リオン先輩」