「うーん……ダメだ」
もはや何度目だろうか。スマートフォンの圏外の表示を見て、|四条真愛《しじょうまな》は絶望する。
まったく見知らぬ、だだっ広い草原にひとりぼっち。
吹き抜ける爽やかな風が、アッシュブラウンに染めた彼女の髪をくすぐっていく。だからと言って、それで気分が晴れやかになるわけではないが。
|真愛《まな》は役に立たない|板切れ《スマホ》を学校指定のカバンの中へと適当に放り込んで周囲を見回す。
「そもそも、ここは一体どこなのよぉー!!!」
そう叫んだところで返事が返ってくるはずもない。
|真愛《まな》は疲れて、地べたにへたり込んでしまう。
「なんでこうなったの……」
こちらも何度目だろうか、この訳のわからない場所に立つことになった原因を思い出そうとする――
七月二十日。
それは|真愛《まな》が通う高校の一学期最後の日だった。
市内有数の進学校である、彼女の学校では『自己学習』という名の蹴落とし合いでほとんど宿題が出なかった。
明日から夏休みということもあり、授業もなくごく簡単なホームルームだけで終わったその日。
あまりやる気を感じない教師の言葉で締めくくられ、残った半日で|真愛《まな》は向かわなくてはならない場所があった。
「マナぴ、今日は急いでんね」
「うん、新作のコスメの予約なのー」
クラスメイトの声を背に受けながら教室を足早に去る|真愛《まな》。
七月二十日は贔屓にしているコスメブランドの新作の予約が開始される日。
ティーンから絶大な人気を誇るそのコスメを手に入れるには何としても予約を完了させなければならない。
「(ギリギリかなぁ……)」
スマホに表示された時間を見つめながら、廊下を早足で進んで行く。
本当ならば、一〇〇メートルを一五秒台で走ることのできる脚力にものを言わせたいのだが、そんなことをすれば生活指導の鬼教師が飛んできて余計に足止めを食うのは目に見えている。
しかし、校舎を出ればそんな制限はない。全速力のダッシュを開始する。
昼休憩に出る車両であふれる表通りは避け、進学校の生徒ならまず通らないであろう路地裏を駆け抜けていく。
ゴチャゴチャして狭苦しい道を淀みなく走り抜けていくその姿は、普段からその通路を利用していることが伺える。それだけでも、|真愛《まな》の通う高校では問題視されるだろうが、彼女はそんなことは気にはしない。
薄暗い路地裏を抜け、|真愛《まな》はいつも利用している馴染みのコスメショップへと転がり込む。
同じような考えの者たちでごった返す店内の中を突き進んで、なんとか目的の新作コスメの予約を果たす。
「つ、疲れた……」
時間にすれば、たったの数分。それだけの出来事だがかなりの体力を消費させられた。オシャレを究めんとする少女たちの持つエネルギーはそれだけ凄まじいということである。
それでも、戦いに勝利した|真愛《まな》の顔は晴れやかだった。なんと言っても待望の新作。心が躍らないはずはない。
「(フフフ、発売日が楽しみ、楽しみ)」
引換券を大事そうに財布へとしまい込み、足取りも軽く|真愛《まな》は自宅までの道を歩き始める。その道中に、恐らくは予約が間に合わなかった者たちだろう、うなだれたり、暗い顔をしているギャルたちが目についた。
「(もう一歩遅ければ、あの仲間入りをしてたかもなのねぇ)」
自分の健脚と、そのように生んでくれた両親に感謝しながら、何の気なしに先ほど通ってきた路地裏を覗き込む。
今はもう通る必要のない道。
だけど、なぜか|真愛《まな》はその道へと足を踏み入れてしまった。
「声……?」
声が聞こえた。
とても小さく、注意していなければ聞こえない声。
だけれども、なぜか妙に耳に残る声だった。
その声に導かれるように、|真愛《まな》はフラフラと路地裏を進んで行く。
普段であっても通らないような、本当の裏道。年頃の女の子だったら、絶対に通ってはいけないと感じるその道を、|真愛《まな》はまるで操り人形のように歩いていく。
――助けて、助けて。
本当にそう言っているのか定かではない。もしかしたら風の具合でそうなっているだけかもしれない。
だけど、|真愛《まな》の足は止まらなかった。日の高い夏の日の午後だというのに、薄暗くひんやりとした路地裏の先。声の主の元へと歩き続ける。
そして、それはそこにあった。
薄暗く、埃っぽい路地裏のさらに奥。
その場所に不釣り合いなほどに、眩く輝く光の球が空中にフワフワと浮いていたのだ。
「(……なにこれ?)」
よく、無鉄砲だとか無防備だとか友人から言われる|真愛《まな》だったが、それはこんな非常識な状況でも遺憾なく発揮された。いや、されてしまった。
遠巻きに光球を眺めながら、カバンからスマホを取り出して動画アプリを起動する。
「なんかスゴいモノ見つけちゃったんじゃない? バズっちゃって、あーし有名人かも……!」
そんなことを口にしながら興奮気味に撮り続ける|真愛《まな》。そんな彼女の耳に、再びあの声が飛び込んできた。
――助けて、助けて。
今度はハッキリと。
空耳でも、風の具合でもない。
確かに、助けを求める誰かの声が聞えてきたのだ。
「だぁれ? どこにいるの? 助けて欲しいなら、場所と名前を教えて」
だから。
|真愛《まな》はそう答えた。
助けようにも、どこにいて、どういった人物なのかがわからなければ助けようがない。
しかし、その返答こそが無鉄砲で無防備なのだと理解していなかった。
普通ならば。
声だけが聞こえて、それを発している者の姿が見えない、なんてことあるはずがないからである。しかも、周囲には身を隠せるような場所もない。
そんな状況で、普通の女の子が取るべき選択肢は「逃げる」一択であった。
だけどもう遅い。
|真愛《まな》は返事をしてしまい、恐らく声の主はそれを聞いたのだろう。
「え……?」
光球が激しく明滅し始めた。まるで、何かを伝えようとしているかのように、不規則に光が迸る。
そして、その明滅が頂点に達したその時、
「きゃあああああ!!!!!!」
|真愛《まな》はその眩しさに気を失ってしまい、目が覚めたら路地裏ではなく、このまったく見知らぬだだっ広い草原に突っ立っていたのだった――
「以上、|回想《げんじつとうひ》終わり! 結果、あーしがバカでした……」
誰に向けるでもなく|真愛《まな》は言って、伸びをする。
原因としては、あの声に返事をしたのがマズかったのだろうと結論付ける。あれに返事をしなければ、今ごろはクーラーの効いた部屋の中でアイスを食べながら、動画でもスマホで見ていただろう。
「(っていうか、どうやって家に帰んのよ……)」
恐らくは|真愛《まな》をこの草原まで運んだ光球は、今は影も形もない。さらに、助けを求めたあの声も、全く聞こえなくなっている。
詰まるところ、あの路地裏へと帰る手段がない、ということだった。
「(あーし、ココで死んじゃうんじゃないでしょうね……)」
脳裏に走る最悪のケース。
こんな訳のわからない場所で、誰とも知られずに野垂れ死ぬ。
そんな、身の毛もよだつ想像を首を振って追い払う。このままでは、本当に想像で済まなくなってしまう。
「(まだ新作のコスメ、ゲットしてないんだからね……)」
とはいえ、どこか根本的にズレているのは一〇代故か。
取り敢えずと歩き出した彼女の視界の先に、不意に何かが映る。
「んぁ? あれは……?」
赤黒く立ち上るそれは、炎だった。
もはや何度目だろうか。スマートフォンの圏外の表示を見て、|四条真愛《しじょうまな》は絶望する。
まったく見知らぬ、だだっ広い草原にひとりぼっち。
吹き抜ける爽やかな風が、アッシュブラウンに染めた彼女の髪をくすぐっていく。だからと言って、それで気分が晴れやかになるわけではないが。
|真愛《まな》は役に立たない|板切れ《スマホ》を学校指定のカバンの中へと適当に放り込んで周囲を見回す。
「そもそも、ここは一体どこなのよぉー!!!」
そう叫んだところで返事が返ってくるはずもない。
|真愛《まな》は疲れて、地べたにへたり込んでしまう。
「なんでこうなったの……」
こちらも何度目だろうか、この訳のわからない場所に立つことになった原因を思い出そうとする――
七月二十日。
それは|真愛《まな》が通う高校の一学期最後の日だった。
市内有数の進学校である、彼女の学校では『自己学習』という名の蹴落とし合いでほとんど宿題が出なかった。
明日から夏休みということもあり、授業もなくごく簡単なホームルームだけで終わったその日。
あまりやる気を感じない教師の言葉で締めくくられ、残った半日で|真愛《まな》は向かわなくてはならない場所があった。
「マナぴ、今日は急いでんね」
「うん、新作のコスメの予約なのー」
クラスメイトの声を背に受けながら教室を足早に去る|真愛《まな》。
七月二十日は贔屓にしているコスメブランドの新作の予約が開始される日。
ティーンから絶大な人気を誇るそのコスメを手に入れるには何としても予約を完了させなければならない。
「(ギリギリかなぁ……)」
スマホに表示された時間を見つめながら、廊下を早足で進んで行く。
本当ならば、一〇〇メートルを一五秒台で走ることのできる脚力にものを言わせたいのだが、そんなことをすれば生活指導の鬼教師が飛んできて余計に足止めを食うのは目に見えている。
しかし、校舎を出ればそんな制限はない。全速力のダッシュを開始する。
昼休憩に出る車両であふれる表通りは避け、進学校の生徒ならまず通らないであろう路地裏を駆け抜けていく。
ゴチャゴチャして狭苦しい道を淀みなく走り抜けていくその姿は、普段からその通路を利用していることが伺える。それだけでも、|真愛《まな》の通う高校では問題視されるだろうが、彼女はそんなことは気にはしない。
薄暗い路地裏を抜け、|真愛《まな》はいつも利用している馴染みのコスメショップへと転がり込む。
同じような考えの者たちでごった返す店内の中を突き進んで、なんとか目的の新作コスメの予約を果たす。
「つ、疲れた……」
時間にすれば、たったの数分。それだけの出来事だがかなりの体力を消費させられた。オシャレを究めんとする少女たちの持つエネルギーはそれだけ凄まじいということである。
それでも、戦いに勝利した|真愛《まな》の顔は晴れやかだった。なんと言っても待望の新作。心が躍らないはずはない。
「(フフフ、発売日が楽しみ、楽しみ)」
引換券を大事そうに財布へとしまい込み、足取りも軽く|真愛《まな》は自宅までの道を歩き始める。その道中に、恐らくは予約が間に合わなかった者たちだろう、うなだれたり、暗い顔をしているギャルたちが目についた。
「(もう一歩遅ければ、あの仲間入りをしてたかもなのねぇ)」
自分の健脚と、そのように生んでくれた両親に感謝しながら、何の気なしに先ほど通ってきた路地裏を覗き込む。
今はもう通る必要のない道。
だけど、なぜか|真愛《まな》はその道へと足を踏み入れてしまった。
「声……?」
声が聞こえた。
とても小さく、注意していなければ聞こえない声。
だけれども、なぜか妙に耳に残る声だった。
その声に導かれるように、|真愛《まな》はフラフラと路地裏を進んで行く。
普段であっても通らないような、本当の裏道。年頃の女の子だったら、絶対に通ってはいけないと感じるその道を、|真愛《まな》はまるで操り人形のように歩いていく。
――助けて、助けて。
本当にそう言っているのか定かではない。もしかしたら風の具合でそうなっているだけかもしれない。
だけど、|真愛《まな》の足は止まらなかった。日の高い夏の日の午後だというのに、薄暗くひんやりとした路地裏の先。声の主の元へと歩き続ける。
そして、それはそこにあった。
薄暗く、埃っぽい路地裏のさらに奥。
その場所に不釣り合いなほどに、眩く輝く光の球が空中にフワフワと浮いていたのだ。
「(……なにこれ?)」
よく、無鉄砲だとか無防備だとか友人から言われる|真愛《まな》だったが、それはこんな非常識な状況でも遺憾なく発揮された。いや、されてしまった。
遠巻きに光球を眺めながら、カバンからスマホを取り出して動画アプリを起動する。
「なんかスゴいモノ見つけちゃったんじゃない? バズっちゃって、あーし有名人かも……!」
そんなことを口にしながら興奮気味に撮り続ける|真愛《まな》。そんな彼女の耳に、再びあの声が飛び込んできた。
――助けて、助けて。
今度はハッキリと。
空耳でも、風の具合でもない。
確かに、助けを求める誰かの声が聞えてきたのだ。
「だぁれ? どこにいるの? 助けて欲しいなら、場所と名前を教えて」
だから。
|真愛《まな》はそう答えた。
助けようにも、どこにいて、どういった人物なのかがわからなければ助けようがない。
しかし、その返答こそが無鉄砲で無防備なのだと理解していなかった。
普通ならば。
声だけが聞こえて、それを発している者の姿が見えない、なんてことあるはずがないからである。しかも、周囲には身を隠せるような場所もない。
そんな状況で、普通の女の子が取るべき選択肢は「逃げる」一択であった。
だけどもう遅い。
|真愛《まな》は返事をしてしまい、恐らく声の主はそれを聞いたのだろう。
「え……?」
光球が激しく明滅し始めた。まるで、何かを伝えようとしているかのように、不規則に光が迸る。
そして、その明滅が頂点に達したその時、
「きゃあああああ!!!!!!」
|真愛《まな》はその眩しさに気を失ってしまい、目が覚めたら路地裏ではなく、このまったく見知らぬだだっ広い草原に突っ立っていたのだった――
「以上、|回想《げんじつとうひ》終わり! 結果、あーしがバカでした……」
誰に向けるでもなく|真愛《まな》は言って、伸びをする。
原因としては、あの声に返事をしたのがマズかったのだろうと結論付ける。あれに返事をしなければ、今ごろはクーラーの効いた部屋の中でアイスを食べながら、動画でもスマホで見ていただろう。
「(っていうか、どうやって家に帰んのよ……)」
恐らくは|真愛《まな》をこの草原まで運んだ光球は、今は影も形もない。さらに、助けを求めたあの声も、全く聞こえなくなっている。
詰まるところ、あの路地裏へと帰る手段がない、ということだった。
「(あーし、ココで死んじゃうんじゃないでしょうね……)」
脳裏に走る最悪のケース。
こんな訳のわからない場所で、誰とも知られずに野垂れ死ぬ。
そんな、身の毛もよだつ想像を首を振って追い払う。このままでは、本当に想像で済まなくなってしまう。
「(まだ新作のコスメ、ゲットしてないんだからね……)」
とはいえ、どこか根本的にズレているのは一〇代故か。
取り敢えずと歩き出した彼女の視界の先に、不意に何かが映る。
「んぁ? あれは……?」
赤黒く立ち上るそれは、炎だった。